バリバリ伝説並みの整形外科医

人斬り以蔵 ただそれから4年経ちバリバリの整形外科医として日々手術をするのが生きがいとなっていた私にとって、今さらどこかの形成外科の医局に入り直して、特に最初の1年を大学病院で末端の医局員として先輩医局員の手術を指をくわえて見て過ごすだけの生活は耐え難いものでした。そういう形成外科の見学は、主に久留米大学在籍時に同大形成外科や新日鉄八幡製鉄所病院(碓井部長は整形外科医でもあったから頼みました)、小倉記念病院(高柳先生退職直後で、単に門司労災に近いから大塚部長に頼んで見せて頂いた)などでひたすら平身低頭でやってきたのですが、それは麻酔を掛けながら見せてもらう、外勤日だから出掛けられる。日曜だから形成外科病棟の包交に立ち会える。というものでした。ですが齢34歳にもなって後に続かない形で2年間、認定病院の奴隷常勤医となった後に、教育関連病院の白壁美容外科に勤められたら5年以上いる・・・等という発想も最初の2年間と後への連続性がないから無駄に近くなると判断したのでした。(バリバリ伝説とは昔、少年マガジンに連載された「しげの秀一」氏の出世作です。続く)