上野千鶴子氏の入学祝辞は不適切 / 医学部入試発言も軽率

私が上野千鶴子氏の名前を初めて知ったのは昭和61~62年頃、新聞の下の書籍広告の欄に「女という快楽」という不謹慎?な題名の本のタイトルを見つけたからだ。
上野千鶴子 東大祝辞 少し調べればマルキスト社会学者で、当時はゴルバテョフ書記長の登場があったものの、私にとってマルクス主義は不倶戴天の敵と思わずにはいられなかったので、左翼フェミニストかと分かれば最初からネガティブな先入観を持った。
その後、この人は挑発的な発言が多くニュースで時々名を見ることがあり、所詮おひとり様感覚の人と思っている。

今回は祝辞の場なのにTPOを弁えないネガティブな発言をしたのもどうかと思うが、医学部入試の浅い論評には不快感を持った。

私が先のブログで挙げたように国が医師の残業時間は年1860時間(月155時間)を期待しているように医師不足で、とにかく過重労働を40年以上連綿と続けて行けそうな人材に入学して欲しいという意向が医学部にはある。入試で女男関係無しにそれに沿いそうな受験生を選んでいるに過ぎない。女子学生は面接時に卒後40年間は医学・医療に邁進すると強烈なオーラを面接官に感じさせれば面接点にハンデはなくなるかもと思う。
上野千鶴子 医学部 実際は医師として働くのに男も女もあるか!現場主義で「使えるかだ!」それが人選の判断基準であり、これこそ徳洲会主義なのだが、医師免許取得後、女性医師が40年余りに渡って男性医師と比べれば70%もしくは60%くらいしか医業に時間を費やしていない、また重病人を受け負っていないケースが多く、それの統計的な調査結果があるから、入試の段階で大学が調整せざるを得なくなっている。

本当は全く入試で調整をせず得点だけで公正の合否を決めるべきで、そうなって行かないと行けないのだが、それに応じて医師免許さえ取れば楽して時間給の良い勤務を選ぶことができるという現状を壊し、医師としての実力がつかない限り、そして過重労働の世界に入らない限り、何年経っても低所得という状況にすれば、医学部入試の段階で「医師にさえなれば将来安泰」という不純な動機の人たちの受験が減る。

上野氏が「がんばっても報われない社会が待っている」というのは、たかだか大学受験だけで「がんばっても」その後で頑張っていない人は「報われない社会」が待っている等、過去積み上げて来ても今、頑張りが足りない人は今頑張っている人の後塵を拝すということで、今の頑張りに男も女もない。現場主義では今使える人が報われるが、それは理不尽でも何でもない。『上野氏はまた馬鹿なことを祝辞で言うな。』と言いたい。
先行逃げ切りで後は楽々と報われる方が間違っている。