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少年老い易く学成り難し

少年老い易く学成り難し 聖隷浜松病院の中村部長から「4年だけでは出来ない話です。」と断られましたが、こっちだって何も4年で辞めたい訳はないのです。ですが当時(平成6年)は市中病院で形成外科を10年やったところで、すぐ美容外科が出来る訳でもないと見定めたつもりでした。それは平成元年秋~3年3月まで徳永美容形成外科クリニックで見聞きしたこととで判断したのです。美容外科はやはり美容外科クリニックに勤めたからこそ美容特有の考え、手技が得られるものと確信していました。だから開業できるかも知れないことを念頭に置けば40台前半までに美容外科を一通りやれる様になっておく必要があり、その前に形成外科医として勤務したところで4年がタイムリミットと思っていました。荻野先生に相談した時、私は34歳になっていました。「少年老い易く学成り難し」で残された時間は限られてます。自分が20歳で医学部に行った頃は、医師としてのスタートが2年遅れることに余り気を取られませんでしたが、この頃は、2年という年月がもったいなかったと悔いた記憶があります。
 医学部は3浪以上して、または他学部卒業、社会人を経験などして入学する人が決して珍しくないので、私が医師免許を得た昭和62年の5月の新聞では、医師国家試験合格者の平均年齢は27.●歳で、2年遅れでもまだ若いとなったのですが、医師免許を得ることはゴールではなく始まりですから、医師としてのやるべきことがテンコ盛りである以上、1年でも早く医師としてのスタートを切った方が良いです。

聖隷浜松病院

聖隷浜松病院 それから何カ月かして茅ヶ崎徳洲会整形外科から大学病院の形成外科に入局せずじて形成外科医として最初から戦力として勤められる病院はないだろうか?と考える時、荻野先生に相談してみました。条件は①症例が多くて、②部長に高い技術力があり、③最初から私を戦力として使ってくれそう。④給料は安くて良い(仕方ない)。・・・そんな病院に勤める道があるでしょうか?とお尋ねしますと、荻野先生は「聖隷浜松の中村先生に頼んであげよう。」と言われました。私は聖隷浜松が700床は超える大病院、地域の中核病院であることは知っていましたから驚愕し、そんな病院に勤められるなら願ったり叶ったり、私の皮算用としても浜松なら新幹線を使って名古屋駅前の師匠のクリニック(名古屋形成クリニック)にも、小田原の慈恵系列の整形外科病院にも土曜の14時から勉強に行くことが続けられるか!?と興奮してしまいました。
 そして荻野先生を通した上で中村雄幸部長とお話しましたが、やはり嘘は付けないので「末は美容外科をやります。その前に形成外科に4年間勤めたいのです(あと4年間で専門医取得)。」と言いますと、「4年だけでは医局人事に逆らって無理に入れるのは出来ない話です。」と断られました。
 ガッカリしましたが、仕方がないとも思いました。形成外科認定施設はそれだけ大学病院の系列に組み込まれているのです。
 なお、聖隷浜松の前か後かは忘れましたが、荻野先生は、水道橋にある厚生年金病院の中村純二形成外科部長にも頼んで下さったそうですが、こちらは最初から「定員一杯。」と断られたそうでした。(続く)

キュンチャー横留めと人工骨頭置換は、やり尽くした

キュンチャー横留めと人工骨頭置換は、やり尽くした 茅ヶ崎徳洲会総合病院の整形外科は苛烈な勤務で、大腿・下腿・上腕の骨折のキュンチャー横留めや股関節人工骨頭置換などは、やり過ぎる位やれましたので、その分野に関しては、あしたのジョー的に「燃えたよ…真っ白に…燃え尽きたよ…」と思う様になりました。頚部/顆部/関節内骨折、関節鏡視下手術、腱/靭帯縫合・再建もどんどん行っていましたが、人工骨頭置換は梨状筋を強力に引きつつ切らずに行っていましたから、術後の脱臼の心配がなく、術後早期から下肢の運動をさせ、早ければ術後1週間で退院させていましたので最高水準だったと思います。そして整形外科専門医を取得し病院からは医長の任命を受け、久留米大学時代の発想ですと次は親の跡継ぎ開業を考えるのでしょうが、後に私はずっと心に秘めて来た「次は美容外科」を切実に考えるようになりました。
 これに拍車が掛ったのは全くの奇遇ですが、茅ヶ崎徳洲会総合病院の整形外科は形成外科と同じ病棟で、医長に有名な銀座美容外科の森川昭彦先生の跡継ぎの森川一彦先生が居らしたこともあります。森川先生とは私が久留米大学在籍時に形成外科学会九州地方会に出席した時、北里大学形成外科の出向先に熊本の西日本病院があり、ここに森川先生もご出向されていて学会にご出席だったのですが、懇親会で私は「お父様は、あの有名な銀座整形の先生ですか!」等と談笑したのが平成2年だったと記憶します。しかしまさか後年に同じ病棟で働くことになるとは予想もしませんでした。
 森川先生と部下の山本先生とは親しくさせて頂き、時には1人の患者さんを形成外科と組んで私と部下で一緒に手術室に入る事もありました。そういうこともあって「形成外科って良いな。やりがい感じそうだな。」と益々思う様になりました。
 ですから茅ヶ崎にいる時、いつかは美容外科だが、その前に形成外科をやるという気持ちが強くなりました。(続く)

小耳症再建(肋軟骨フレーム)の助手をした

小耳症の再建(肋軟骨フレーム) 耳の論文の校正で荻野洋一先生の元に伺った際、小耳症の肋軟骨での再建が近日中に入っているのをお聞きした時、茅ヶ崎の整形外科から時間調整して、荻野先生の執刀時に上白根病院へ出向き手術の助手に入らせて頂きました。小耳症の肋軟骨での形成再建外科自体は久留米大学麻酔科で麻酔を掛けながら田井教授の手術を至近距離で穴が開くほど見学させて頂きましたが、その手術の助手に付いたのは後にも先にもこの時だけです。軟骨の採取自体は、私が骨移植時に腸骨片を何度も取って来た事と比べて難しい事に見えませんでしたが、耳のフレームに合う様に全く無駄の無い手さばきで軟骨を採取されるお姿は流石は日本の小耳症再建:軟骨フレームの嚆矢と感嘆したものでした。耳作りのために皮下に入れるのも巧みの技と写り荻野先生が「神」に見えました。(尤も後年、永田先生の存在を知り、神の上にも神がいるものだと思いました。) さて整形外科は運動器外科として、その機能再建を行う尊い診療科と思っていましたが、形態再建も又、尊いと改めて思いましたし、こういう仕事もしたいと思いました。その日は深々とお礼を述べては茅ヶ崎に戻ったのを記憶しています。
 こういう事で荻野先生も多少、私に目をかけて下さったのだと思います。それで後に繋がったのです。(続く)
今、私は鼻中隔延長で肋軟骨をしばしば使いますが、採取時に、ふっと荻野先生を思い出します。論文校正願いの初対面時に家内を連れて行ったせいか、お手紙のやりとりの際は荻野先生は毎回締め括りで「奥様に宜しく。」と書かれていましたが、それは先生のお人柄を偲ばせるものと思いました。】

聖マリの(元)形成外科教授に論文の校正をして頂いた

折れ耳の論文で(元)聖マリアンナ医大形成外科 荻野洋一教授から論文の校正をして頂いた   私が茅ヶ崎徳洲会整形外科在職中、乳児の折れ耳(変型耳)の矯正に整形外科で使っていた熱可塑性材料を使って治した事があります。折れ耳とは耳の上半分が頭を下げるような格好をしており、新生児や乳児期は矯正器具をハメて治療するのが論文にあるのですが、ゼムクリップを曲げたようなものを使うので皮膚の糜爛(褥瘡)を作ったり外れやすかったりします。私はその患者を見た際、整形外科で使う熱可塑性スプリントをヒモ状にして矯正器具にするのがパッと浮かびました。それで形成外科の森川先生にも了承を得た上で治療しました。これを平成6年の形成外科関東地方会で発表したところ、克誠堂出版から月刊誌「形成外科」の紙面に載せたいのでと論文の提出依頼が来ました。さて、どうしよう?耳の再建は久留米大学麻酔科在職中に形成外科の田井良明教授の素晴らしい手術をみせて頂きましたが、田井教授は昔、聖マリアンナ医大で荻野洋一教授の下に居たと聞いておりました。荻野教授のことを調べるとTanzerの元に留学し耳の再建を覚えて来た方で、当時、上白根病院に居らしていると分かりましたので、論文の校正のために訪問させて頂きました。
 荻野先生は、「熱可塑性材料をひも状にして使うとは画期的!感心した。」「君も仲間だ。」と言って下さり論文の下書きの校正をして下さいました。誠にありがたかったです。そしてこれが結果的に後の「お願い」へ繋がっていくのでした。(続く)
【荻野先生は、思い出せば本当に優しく温厚な先生でした。新潟大学耳鼻科の助教授だった時、東洋医大耳鼻科の教授へとの話が来て(東洋医大とは今の聖マリアンナ医大)、新潟大の教授が「教授というものは成れる時に成っておきなさい。と言われ成ったんですよ。そして2年後に形成外科の初代教授になりました。」と言われていました。後々ですが私が「美容外科」をやりたいとお話しますと案の定、美容外科そのものに強く反対され、何故か荻野先生のご自宅に呼び出され説教を受ける羽目になりました。ですがこれも人徳がなせるもので、私のように聖マリと何の関係もない医者にご心配とご配慮(また書きます)して下さったことには深く感謝しております。のちに日本形成外科学会雑誌で荻野先生が故人となられたのを知った時、ご冥福をお祈りしたものです。】

形成外科に行きたいと思っても最初から戦場みたいなところに・・・

るろうに剣心:人斬り抜刀斎の整形外科医 昭和62年、私は大学病院の医局制度が戦前の陸軍並みに封建的なところが多い事を医師になった後で肌身で感じました。医局カンファランス室に教授が入って来ると、医局員は総立ちになり、奥の教授の椅子に教授が座るまで皆が直立不動で立っておかなければなりません。教授が椅子に腰かけて、やっと医局員も椅子に再び腰かけます。また若い医局員同士でも入局年が1年でも違えば、その先輩後輩の上下関係は厳しく、黒はともかく灰色を見せられて「白だよな?」と問い詰められれば「はっ、白いように見えます。」と答えざるを得ない雰囲気がありました。入局1,2年目医師が夜に医局にいた時、先輩医師が入って来れば「お疲れ様です。お茶を入れましょうか。」と言ってお茶くみをして当たり前でした。私も入局2年目までは皆と同じく度々お茶くみをしました。これらは医師免許取得年より、その医局への入局年の方が優先しました。
 また当直明けの朝は教授が出勤する時刻の前に当直医は教授室の入口前に立っておき、教授が来られたら、当直時の夜間の状況を硬直した姿勢で報告するのを日課にしている某医局もありました。
 そんな封建体質でも臨床の腕を磨けるなら幾らでも耐えられます。しかし大学医学部とは「研究・教育・臨床」が三本柱で、講師クラス以上の先生方の論文発表のためのデータ探しに、入局1年目医師はカルテ引きと称し過去10年以上の全てのカルテから必要データを抽出する作業を夜な夜な行わされたり、教授・助教授の学生への講義の際は、映写機係として随行したり、そして本丸の臨床も市中病院より病床数に比して教授~入局1年目医員まで合わせれば、医師数は明らかに多いですから、入局5年目程度では、とても執刀のチャンスなど巡ってきません。21世紀の今はどうだか分かりませんが、20年前なら上述の事は全国的に整形外科では当たり前だったと思います。
 ですから昨日書きました~各大学医局長に形成転科の相談をすれば「何科を何年やろうと実力的には3年目、医局員としては1年目扱いだから、オペ患者をストレッチャーで運ぶ事など、医局1年生として謙虚に振る舞う事。何?美容は入局10年はさせない。」~と聞かされた時は、形成外科でもやっぱり同じか!と落胆しました。
 さて末は医長として奮闘した茅ヶ崎徳洲会総合病院整形外科では、連日のように押し寄せる外傷患者で創傷処置や骨切り金属留め等の整形外科手術を行うことが麻薬漬けのようになっており、私は人を切らないと済まない「人斬り抜刀斎」になっていました。だから形成外科に行きたいと思っても最初から戦場みたいなところに戦力として投入される形でないと我慢できないのでした。(続く)

2つの美容外科学会に20年以上ほぼ毎回参加した…(会員名簿)

2つの美容外科学会(形成外科会員名簿)

 左上画像は私の愛読書だったとも言えた日本形成外科学会の会員名簿(1988年版)です。今と違って個人情報が満載で、あの先生はどの大学を何年度に卒業しどこの医局出身というのが明記され、自宅の住所・電話番号まで載っている状態でした。そして当時、形成外科九州地方会やJSAPSの学会で『これは!』と思える発表している先生はこの名簿と照らし合わせラインマーカーを引き憶えていた次第です。
 JSAS(十仁系)の美容外科学会の場合も同様に照らし合わせていましたが、会員名簿に名が載っていたり、載っていなかったりという状況でした。また画像右上は巻末に載った形成外科認定医一覧です。これは後年の名簿の記載と異なり、昭和53年から認定年度順に載っていました。右下茶褐色の色の部分は日本形成外科学会事務局にお願いしFAXで送って頂いた1988年以降に認定施設になった病院名を貼り付けていたものです。
 さて、これを踏まえ一昨日の美容外科学会で発言しました事は下記です。
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①私が進路を決める昭和61年当時は形成外科のトレーニングを受けて美容外科で開業していた医師の方が少なかった。産婦人科出身(根岸、鴛海、船津、安見・・・)でさえ多かった。
②昭和50年代半ば迄に認定にされた形成外科認定医は形成外科医指導の元での研修が4年未満は実は少なくない。ゼロでさえ多くいる(つまり我流)。
③平成になり各大学医局長に形成転科の相談をすれば「何科を何年やろうと実力的には3年目、医局員としては1年目扱いだから、オペ患者をストレッチャーで運ぶ事など、医局1年生として謙虚に振る舞う事。何?美容は入局10年はさせない。」←こんな感じであり、嘗て昭和51年転科・翌年形成外科講師などがあった時代とは違っていたと悟った。
④名簿記載以外に後年に認定施設になった病院も含め、全国の病院を調べたが、形成外科認定施設は殆ど大学の傘下だった。つまり個人がフリーで勤められず大学医局入局しないと無理か。これでは徳洲会病院(湘南鎌倉・茅ヶ崎)的に最初からバリバリやれる望みは薄い。整形外科ではフリーで勤められ、立派な指導医の元に腕を磨け専門医の資格も取れる病院は少なくないので口惜しい。
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 なお②に関してですが、形成外科の黎明期の頃、まず整形外科や耳鼻咽喉科、外科などから始めて、途中で形成外科を学びに行き、3年以内にその施設を離れて自分がチーフとしてもしくは開業して形成外科・美容外科を続けている先生は、昭和51年以降に卒後、形成外科に入局した先生たちとは区別して考えなくて良いのか?と思ってしまいます。

2つの学会を統一するのでなく、 2つの学会とも本来の名称にして、新生の1つの「日本美容外科学会」の下に置く

2つの美容外科学会 昨日、無事に異色の演題「2つの美容外科学会に20年以上ほぼ毎回参加した者の個人的見解」の発表が終わりました。その後、新富先生が席を移って私の隣に座られ「伸び伸びと、よくぞ良い意見を言ってくました!」と言われ握手の手を差し伸べられました。これには私は大変嬉しく思いました。JSAPSの重鎮の新富先生が昨年の学会時に、若輩の私に、気さくで且つ丁寧な感じで「木村先生にも何か良い考えがあったら宜しく。」と言って下さったことは忘れもしません。今回のことはそれに対する御礼です。20余年の両学会の参加で達観していたことから真剣に導き出して語らせて頂いたのです。
 さて内容の骨子は★★★2つの学会を統一するのでなく、 2つの学会とも本来の名称にして、新生の1つの「日本美容外科学会」の下に置く★★★
つまり、JSASは、元々の名称の日本美容整形学会に戻し、JSAPSは正式な日本語訳の日本美容形成外科学会にする。それぞれ「整形」と「形成」の名称を表記したかったのですから、両者とも同時変更なら反対意見は出ないと思います。そして両学会を束ねる新生の美容外科学会を創る。これは丁度、企業が合併のような形を取る時、○○ホールディングスと名乗り、元々の会社の自立性は保ちつつも、共通する問題に対しては新会社が全体を束ねて動く。このような体制が一番良いと考えるのです。
 7月20日のブログで『55年体制と掛けてHand Surgery(手外科)と説く』と書きましたが、これは1955年は、強大化してきた社会党に対抗するため自由党と日本民主党が合併して自由民主党になったのですが、その後も相変わらず元自由党員と元日本民主党員では融和できず、共通する危機に対して新生の自由民主党に束ねられて動いただけでした。また手外科学会のHPをみればその専門医像として、「整形外科および形成外科専門医であり」との表記があり、私はここから掛け言葉自体は強引ですが、標榜科の「美容外科」を名乗る学会が2つに別れているために力を結集できず他団体や外国に後れが生じてきている現状なら、本来の付けたかった学会名の「整形」や「形成」の付く表記に変え、新生の美容外科学会の中に2つを入れれば嘗ての自由民主党のように何とか諸問題がクリア出来ると思ったのです。
 さて発表の最後に締めくくった言葉ですが、「今の若いドクターの中には、学生や研修医の頃、あまり形成外科・美容外科に接するチャンスがないままに、外科系他科をやっていて、後で、『僕は美容外科をやりたいんだ!』と気付く人は必ず生じるでしょうから、その人たちを締め出すのは、辛くあります。美容外科とは結局は目の前の女性を綺麗にしたいという気持がどれだけ強いかで多くが決まると思いますから、どういう形にせよ、1つの美容外科学会に収束した後、外科系他科出身で真面目に美容外科をやりたいと思うようになった医師にも門戸を開いてあげられるよう切に望みます。」そう言いました。

美容外科学会(福岡大学形成外科:大慈弥裕之会長)

美容外科学会 今、第34回日本美容外科学会にて福岡にいます。本日の私の発表は「二重小切開法(3mm×3)について」でしたが、質問も前後の演題の先生たちより多く、反響は上々だったと思います。
会場は3つありましたが、これでは半分以上の発表を聞くことが出来ない訳で、これは「もったいない(マータイさん)」のでVTR収録して後日DVDで販売など何か工夫できないかと思います(しかし安易なDVD販売にすると学会参加しなくなりますから難しいですね)。
 さて午後には特別企画シンポジウムと称し「二つの美容外科学会:日本の美容医療に将来はあるか?」があり、4人の演者からどんな発言があるか期待していましたが、部外者の通り一遍のお話に留まり、特に肩書きが美容医療ジャーナリストの人は人選不適格だったと思いました。同名の二つの美容外科学会があるのを一つにする各論を聞きたかったのですが、まあ門外漢の先生方でしたから無理だったとも言えます。
 このシンポジウムの後、懇親会の時など学会の理事クラスの先生方々に私が明日発表する案を話してみましたが、お一人を除いては妙案という感じで受け取って下さいました。そのお一人の先生は、「そこまで考えなくても先生は十仁の美容外科学会専門医だろ、だったら統一学会の専門医に自動的になって済む訳で、今、形成外科をやってないけど、後で美容外科をやるかも知れない人の事まで考える必要はないよ。」と言って下さいました。
それはその通りでもあるのですが、今まで形成外科医でない先生たちからの美容外科への転身のメール相談等もあり、20年前の自分がそうだったように、放っておけないな・・・。という想いがあるのです。

シリコン注射・顔変形(扇風機おばさん)

シリコン注射 顔変型  シリコン注射をボリューム充填の目的で使い続けていると写真の様なシリコン顔貌になるのは美容医療関係者の間では知られています。
 なお一般病院で使う注射器の材質はとして今は、使い捨て用プラスチック製が一般的ですが、実は内筒部分にシリコンオイルが潤滑油として用いられているのは医療従事者の間では知られています。だから注射された人は超・極微量とは言え、シリコンオイルを体内に入れられています。だからと言ってこれで疾病になるとの指摘はありません。
 さて昨日、男装の麗人、細川女医を『一刀両断に非難も出来ないのが・・・。』と書きましたのは、顔へのシリコン注射を、もの凄く少量で打っていたからです。(故)美空ひばりも細川先生から注射を受けていたとの噂もあります。
 私、木村はシリコン注射の後遺症として、額、鼻、頬、胸、腕、手背、陰茎に入れられた人々のシリコンを除去したことがありますが、皆、一定量以上を充填されて変型・硬結を来たしていた人でした。
 ですが細川先生のように極々少量ならば一般に有害と言われているものを注入しても好結果を生む事もあるかも?という思いが私にはあります。一口に美容外科で使うシリコン注射と言っても製造メーカーで材質が異なっていたこともあります。
 シワ・タルミの治療としてアプトス・ワプトス・シルエットリフトなどの糸を入れた後は、肌にハリが出るとも言いますが、液体でないにしても異物を入れた後、このような副次的な効果を生むのも考慮して良いと思います。(続く)

テレビ局の美容外科クリニックへの取材(額のハイドロキシアパタイト)

ハイドロキシアパタイト 昨日夜に日本テレビ系列の人が当院を訪れ、額のハイドロキシアパタイトについて取材されました。左のモニターさんの画像やアパタイトの機材等を渡し、続いて額の美容整形の種類と利点・欠点などを尋ねられました。
そこで意外だったのは「額のシリコン注入」に対しての度々の質問でした。当院に来られたのも、ペースト状ハイドロキシアパタイトが小切開での注入のため、シリコン注入と何か通じるところがあるのかと来られた感じがしました。
どうも番組を制作中のところ、額にシリコンを注入された方に取材を行ったそうで、聞けばその人はフィリピンで受けたとのことでした。私は『フィリピンでは、いまだにそんな施術をしているのか!』と唖然としましたし、取材の方が「銀座でもシリコンを打ってくれる先生がいるはずです。」と言ったのには『いったい何年前の事を言ってるのですか!』と驚いたものです。しかしテレビ番組制作の人達が帰られた後で、『ああ、あれは男装の麗人と名高かった女医、銀座の細川先生のことだったのだ。』と気付きました。今の若い先生はご存じないでしょうが、最後までシリコン注射を打ち続けていた先生です。美容整形分野で液体シリコン注射が危険だと言われ誰もやらなくなっていた中で、密かに打っておられました。ただ、それを悪い事と一刀両断に非難も出来ないのが私の微妙な考えに基づくものです。(続く)

眼窩下神経ブロックで静脈麻酔は不要

眼窩下神経ブロック モニターさんの鼻の手術の直前の画像ですが、まずは鼻に麻酔を打たずに、頬の内側に打っています。これはこの部位に眼窩下神経という中顔面の知覚神経の枝が顔面骨から出ていますので、ここに麻酔液を注射すれば、鼻が麻痺してくるのです。すると後で、鼻に局所麻酔を追加で打っても、ほとんど痛くありません。この麻酔方法は伝達麻酔と言い、この部に限っては、眼窩下神経ブロックという名称がよく用いられます。
  美容外科の医師の中には、この麻酔方法を知らないのか、知っていても手間が増えるのが嫌なのか、行わない医師は珍しくありません。だから当院に修正手術のご相談に来れれる患者さんの中には「鼻の麻酔が超激痛だった。静脈麻酔もして~!」と言われる人がいます。ですが実際、眼窩下神経ブロックを行えば静脈麻酔は不要と思えるほど鼻のへの麻酔が痛くありません。
 従って私はわざわざ静脈麻酔を併用するほどでないと思います。静脈麻酔は強く効かせると呼吸が一時止まりますので安全性の点でも、当院で行っている短時間型睡眠導入剤の内服+眼窩下神経ブロック+鼻への局所麻酔が最善かなと考えます。

イリザロフ法と脚延長

イリザロフ法による脚延長

 イリザロフ先生に骨はイリザロフ法で何センチまで伸びますかと尋ねたら「何センチでも伸びる。」と答えたという話があるのですが、これは事実です。ですが通常は軟部組織が延長に付いて行けなくなるので、若い人で大腿5cm、下腿5cmくらいかな。などと言います。これがAchondroplasia(骨軟骨形成不全)という病気の人ですと骨だけが問題で軟部が余っていますから、私が久留米大学整形外科在籍時の症例でも16cmも脚を伸ばした患者さんがいます。
 先日の研究会でも夜間の討論会で若い女性の症例(片側脚短縮)に「できれば23㎝伸ばしたいです。今、大腿骨だけで12cm伸ばしました。」との報告と質疑応答があり、無茶するなよ的な発言をさせた先生は、「そのうち股関節脱臼を起こしますよ。筋肉も全部切って膝もデーゼ(固定)して棒脚で伸ばすしか目的は達っせんでしょう。棒脚だ、棒脚。」とも言われたのですが、共同演者が「いや、この女性の軟部はかなり軟らかいので、できるだけやってみます。また来年経過報告します。」などと言われました。
 美容外科クリニックでは以前は大阪のメガクリニックが脚延長をされていまして、実際に下腿5cm、大腿3cm伸ばされた方が、当院に別件で来られたことがあり、詳しく脚延長の経過を聞くことも出来ました。まず下腿5cmを何の問題もなく伸ばせ、半年後には走れるようになり、1年半して大腿を延長開始したのですが、膝関節拘縮が生じ膝が十分曲がらなくなってきたので、3cmの延長で中止されたとのことでした。下肢の筋肉は2関節またいで付いているものが多いので、先にやった下腿延長で、後の大腿延長の際、軟部の延長に制限が出たというところです。
 ですが高柳先生も学会で言われていましたが、「下腿を伸ばした方がカッコイイ」ものです。
 この脚延長が美容手術として普及できるかは創外固定器の装着期間をできるだけ短く出来るかに掛っており、先日の研究会で招待講演されたポルトガルのロペス先生(ロペス元大統領の息子)も伸ばしたら髄内釘に横ネジを刺し創外固定器を外すと言われており、昨年出席されていたスカイ整形外科の柏木先生も「それもやるにはやります。」と言われていました。そして私、木村も平成6年当時からそれを言っているのですが、昨年柏木先生から横ネジが全荷重に耐え切れず折れるので、むしろ創外固定器の装着のまま骨の成熟を待つ方を勧めていますと言われ、『確かにそうだな。』とは思いました。私も大腿、下腿の骨折での髄内釘+横ネジで患者さんが免荷を守らず横ネジが折れて、この抜去に苦労した経験があります。
 この骨延長が美容目的で発展できるか否かは髄内釘の更なる高度化(最初から最後まで創外固定を使わないアルビジアネイルも含め:頁下段)を待つところです。

イリザロフ法研究会への出席

イリザロフ法研究会 今、日本運動器再建・イリザロフ法研究会の会場で丁度、休憩時間ですので、ちょっとブログで中継します。
 整形外科医でもある私にとって、この研究会は毎年出ていますが、参加して楽しくあります。それは学会というより発表症例の診断と治療への遠慮無き自由討論会という感じで、参加者は所属大学は違っても、志を同じくする知人医師たちが集まって本音で自分の意見をブツケ合うという感じで熱いからです。年配の先生などは、他大学の先生に対しても前々から知って気心が知れてるからでしょうが、友人に意見する様な平易な喋り方もしますし、オカシナな話が出てば会場内で爆笑に包まれます。
 美容外科医師の立場の私にとって直接役に立つ話は腐骨の扱いをどうするか?、骨軟部組織へのメカニカルストレスはどう働くのか?などに限られますが、整形外科は形成外科を生んだような科ですから、炎症とか感染の診断と対応とか間接的には自分の今の医療に役立つ話もそれなりにあります。
 ただこの学会に参加したくなるのは直接・間接に役に立つというより、参加して楽しいからというのが本音の動機です。本当に熱い研究会で、さっきも某先生が「今日は23時まで徹底討論会です。」と言われたように、夕食会の後、まだまだ症例検討・討論会が続きます。
(追加)食事は1時間位で切り上げ、食事会の会場がそのまま症例検討会場になりました。発言も長崎の先生が東京の先生に「竹ちゃんは、そこまでやりますか?」などと発言は和気あいあいながらも、「もっと注意深く見るべきです。これは実は内顆も外顆もローテーションして変形治癒しています。ですから関節軟骨まで切りこんで整復し内顆から合わせる・・・。」などと難治症例のオンパレードで頭を使い非常に意義深くありました。また凍結保存骨・軟骨について良い話が聞けました。尚この分野は私が整形外科医として最も得意としていた分野で経験豊富でしたから、今でも実践投入されればキッチリ役目を果たせる気がします。

グラマラスライン形成(目の縁を下げる手術)

グラマラスライン形成 今、当院のモニター募集中にて、下瞼の中~外側下げる手術を受けた方の経過写真です。瞼板筋の縫縮と表の皮膚切除の両方をやっています。私は以前は傷のことを考えて、裏からのアプローチだけで皮膚の切り取りはしなかったのですが、①裏からのアプローチだけでは後戻りがそれなりにある。②表の皮膚切り取りをした方が睫毛の生え際が見えてきて華やいだ感じで目が大きく見える。③傷は睫毛ギリギリで切開し丁寧に縫合すれば、殆ど分からなくなる。・・・以上の点から今は皮膚切開も行うのが普通です。写真を見てもお分かりのように傷は術後13日にして、殆ど分かりません。お化粧をキッチリやれば術後1週間位が社会復帰の目安と思います。
 この下瞼縁を下げる手術名は近年は多くの美容外科で「グラマラスライン形成」という言葉でも呼ばれる事が多いです。以前は「目の縁を下げる手術」「あゆのタヌキ目にする手術」「目を下に大きくする手術」などと呼ばれていました。いずれにしても目頭に近い下瞼内側は下げずに、黒目の下から外側の範囲で下げるのが普通です。そして下げ過ぎて黒目の下に白目が見えて三白眼にならない程で仕上げなければなりません。
 気を使う手術ではありますが、如何にも美容外科的な工芸細工的手術でピタッと決まって双方(患者さんと執刀医)ともに嬉しいという手術です。
9月1日

小鼻縮小は外側を切るのが基本(悟りを開く)

小鼻縮小の傷痕 私が大塚美容外科に勤めていた平成6~7年当時、医局に昭和28年発行の「鼻の成形外科」という古い本が医局にありました。目を通せば、今、私がやっているような、小鼻縮小では外側も内側も一塊に切除する術式が正規のやり方として載っておりました。あの頃は皆が「小鼻縮小の術式は基本的なものは確立している」という風にも言われてたように思います。
 しかしあの頃、美容外科学会で鼻の穴の中だけで行うX-Plastyなる術式が発表され、鼻の穴の中だけで行うから画期的とのコメントも言われましたが、症例写真は鼻プロテーゼも併用でしたから、見てスッキリ思えませんでした。ただ私も何とか見えるところに傷を付けずに小鼻縮小を鼻の穴の中だけでやれないものかという意欲をそそられました。
 当時は私は大手美容外科で研鑽しつつ、夜になればヤスミに駆けつけ安見正志先生直伝で技術的ノウハウを受け継げ、急速に美容外科技術を吸収しておりました。それで平成10年までに達観した事ですが小鼻縮小を見えるところに傷を付けずに、何とかやれないものか?。に対しては、結論から言えば、下記になります。
●鼻の穴の中だけで行う内側法では効果は無いか一時的、もしくは効果を出そうとするあまり歪みが生じて患者の満足は得られない。何とか満足させようと基部の幅を狭くするため、皮下に糸を掛けて寄せるサークル縫合やラウンド法、もしくは軟部を交差させて寄せる今で言うフラップ法も効果は一時的。
●内側切開+鼻孔底切除も行う術式は、鼻孔底切除した分で小さいとは言え確実な変化は出る。皮下に糸を掛けて寄せるサークル縫合やラウンド法、もしくはフラップ法の併用は構わないが、効果の大半は鼻孔底切除によって得られている。
●外側~鼻孔底~内側まで一塊に切除して縫合するのが一番形状的に綺麗に行く。しかし中縫いに注意を要し、外縫いする前に創縁がほぼ合う様にしておく必要がある。
・・・ですから私は外側切り取りを行うのを殆どの方に行っています。本来症例写真のように初めてのOPで無理のない仕事なら、デザイン通りに切除縫合し一発で決まります。しかし過去複数回手術に加えて鼻翼基部挙上で鼻柱より上げてなどと無茶な注文など合わせてご希望されなければ、歪みが生じ易く、2~3回程、検診時にニードルダイセクションでの処置が必要です。また抜糸日に来なくて随分遅れての来院など論外です。
症例写真はクリックすると拡大した該当頁に飛びます。)

女は嫁に行くまで見えるところに傷をつけてはダメだ(原則的に)

鼻尖縮小手術範囲拡大 表題の言葉は昭和63年に私が非常勤で勤めさせて頂いたクリニックの院長から、お聞きしたものです。妙に感動しました。もっともそれは飽くまで基本なのであって、そこの院長先生も、どうしても埋没法では無理だったから切開法の二重にしたとか、小鼻が大き過ぎるから、プロテーゼで鼻スジを通して誤魔化すのも無理となれば一般的な小鼻縮小外側も切るといった手術はされていました。
 しかしこの言葉はずっと私の脳裏に残り、それををできるだけ遵守したかったので、傷が非常に目立ち難い小切開を始めましたし、鼻尖縮小の際、手術範囲を小鼻にまで広げて小鼻の膨らみの軽減を図る、鼻尖縮小手術範囲拡大なるものをやってきました。この術式は写真を見て分かりますように小鼻の外側も鼻孔底も切らず全くの鼻の穴の中だけの切開で小鼻の膨らみと鼻孔形状が改善できます。基部の幅はそのままでも、団子鼻のついでに小鼻も程々改善したい位のご要望にはお応えできております。
 鼻中隔延長も耳介軟骨の場合は移植軟骨に“しなり”がありますから、クローズ法が主体ですが、昨日の症例のような肋軟骨ですとオープン法でやらなければとても無理です。
一昨日の小鼻縮小もやはり外側までしっかり切らないと良い結果は生まれなかったと思います
 昔の師匠の先生の教えを胸に、師匠がそうだったように節度を持って外を切る時は切らせて頂いております。

頬骨削り/アーチリダ゙クション・顎削り/V字カット軽度・額アパタイト増量 術後3ヶ月3週

頬骨削り・アゴ削り・額アパタイト441頬骨削り・顎削り・額アパタイトのモニターさんです。
頬骨は口腔内切開+モミアゲ横切開でアプローチし、頬骨弓ともノミと電動ノコギリで海綿骨を僅かに付けたりして骨皮質を薄く骨切り・切り取りした後、頬骨弓の前後で骨切り&正中移動させています。アーチリダクションです。内側の軟部組織や骨膜は完全には離断せぬようにして遊離骨片とならないようにしています。これは遊離骨片にして骨吸収されるのを回避するためです。
顎は中抜きで短くした上で側方削りを行い、末梢骨片両端を削り幅を小さくした上で前に出しています。末梢骨片両端から外したオトガイ筋肉群は引っ張って前に出して骨に括りつけております。なお末梢骨片は金属プレートでなくワイヤー固定としています。下顎骨側方骨切りはオトガイ神経孔から5mmは離しての骨切りのため知覚異常は最初から軽微で早々に回復しております。
額のハイドロキシアパタイトは髪の生え際付近に8mmの小切開を加え骨膜下に剥離しペースト状の状態で多めに注入し、皮膚の上からモデリングして形状を整える操作で形成しました。この手術はブラインドなので、愛護的操作に加え、慣れやカンが入るものです。
なお3ヶ月過ぎましたが鼻の手術も含め色々やったためか、腫れがまだ若干残っている感じです。
8月23日

アゴの骨切りV字カットの発端はICONIQか

iconiq 美容外科でアゴのV字カットと言う言葉は、以前からあった気もしますが、メールの問い合わせ&実際のカウンセリングでの患者さんからの言葉としてはこの1年半くらいで多くなってきた印象があります。
 何が発端か?と思う時「ICONIQか?」と思ったりします。白黒写真の坊主頭が新鮮でアゴが小さく尖り具合が強く印象に残っているあの化粧品の宣伝は?と調べてみると、資生堂のマキアージュの時のものでした。2010年1月初頭に新聞各紙に大々的に載ったようです。2010年上半期からアゴのV字カットの問い合わせが増えていますので、やはりICONIQのアゴを見て「なりたい!」と思った女性は多くいたのでないでしょうか。
 続いてICONIQで画像検索しますと斜め顔が出ましたが、エラが無さ過ぎですね。V字でアゴは華奢なのは良いですが、エラは通常より上に小さくは有った方が自然で綺麗に見えることが多いと思います(エラ削り講座・症例の下段)。もっとも全てはバランスで考えるべきで何が良いと決め付けもできませんが。
 さて、またICONIQと検索で入れた瞬間「ICONIQ 消えた」のロゴも表示されたので、それでクリックしますと李忠成との破局以外は今は何も話題に登らないし出演も殆どないらしいですから芸能の世界は生き残るのが厳しいなと思います。
 個人的な事ですが私は4年余り前から佐々木希の左斜めの顔が妙に好きで(右斜めはダメ)、3年近く佐々木希カレンダーを院内に貼ってありますが、モデルとしての寿命は、あと何年か気になります。

顎の骨切りV字カットの術後1ヵ月

アゴ骨V字カット(術前・術後) 先日、顎の骨切りV字カットを神経スレスレまで行った女の子が1ヶ月検診に来ましたが、見違える美しさにこっちまで嬉しくてたまらない気持になりました。神経の感覚も回復してきており安堵しました。術中は骨を神経スレスレまで切りつつ下顎骨を下から覗けば、神経が露出してギョッとしましたが、回復不能な損傷には至ってなかったんだと確信出来ました。エラ削りの外板削りの際は下歯槽神経管はよく見えるので治療効果を出すためにラウンドバーでかすめるくらいまで削る(頁下段)のはしょっちゅうですが、下顎骨を下から骨切りして下歯槽神経管をかすめる位まで切り落とすのはノミでやりますので、ノミをハンマーでコンっと叩けば下歯槽神経管の下面の骨がポロッと取れて神経が見えたのです。これは整形外科でいう肘部管開放術や脊柱管開放術で骨を切るか削って尺骨神経や脊髄の圧迫を取り除く手術に似ています。または手根管症候群や梨状筋症候群で軟部を切って正中神経や坐骨神経の圧迫を無くす手術にも近いかなと思います。脊椎以外は術者としてやった経験は複数ありますから、どこまで踏み込めるか考えてやっています。
 この人のV字カットは顎先からエラ角まで一直線に切り上げたもので、正確には「アゴ~エラまでV字カット」と言うべきかと思います。
 検診の日、彼女も大喜びだったので、彼女の携帯で2人でツーショット撮影を受け、私もその後2日間、思いだせば幸せな気持ちになるので、モニターでもなかったのに昨日、左記のように鼻・口モザイク画像で使用をお願いしたら即OKしてくれました。
 美容外科こそ自分の業(カルマ)とH16年出版の本の後書きに書きましたが、やはり間違いないと思っています。
 さて、美容外科程ではありませんが、歴史を知るのも自分の名(知史)からの宿命で、高校生~医学部教養課程時代までは相当勉強しております。
 それで先日8月15日の敗戦の日は松岡外交での三国同盟を思い浮かべました。これが日本破局へ舵を切ったと戦後に非難した人も多いですが、ソ連も加えた四国連盟に繋げる構想自体は、対米での安全保障上、緊張を孕むものの悪くなく、南部仏印進駐反対など自制すべき事も主張し、松岡洋右には国際感覚があったと思います。若い頃を米国で過ごしたので、言うべき事は言うという思考の人でした。 そんな事で8月1819日のブログは松岡的に書かせて頂きました。不快な思いをされた方にはお詫び致します。

患者を陰で茶化す医療者はレアなのだが

 医療ニュースと雑感の5月23・27日記載「手術室の真実 信じられない罵詈雑言/クソババア、何歳まで生き延びるつもりだ!(週間ポスト)」の続きですが、医療者で患者を陰で茶化す者もレアと思います。
 しかし私は過去に、個性的な看護師を雇ってしまった事があります。面接の時はハキハキして明るい性格が好感が持てましたが、看護学校を卒業してから早々に全く別の職種に就き、当院に面接に来た際、看護師として働いた経験は4ヶ月でした。これには悩みましたが看護師2人体制のサブとして入職だから良いだろうと雇用しました。
 ですがその後、いわゆるオオカミ少年的と、入職半年後くらいに対立していたスタッフが、その看護師の事を私に「O」(オオ)と名付け私とのメールのやりとり等で呼んでいました。オオカミ少年ならぬオオカミ少女。ホラがあるという意でした。また手術介助が力任せでいたわりに欠けていたので、私は何度も注意しました。そして患者さんを陰で茶化して小馬鹿にして言うのが止まらず、私はしびれを切らして割と大きな声で「数多くの美容クリニックの中で、ここを選んでくれた患者さんに対して失礼じゃないか。感謝しろよ!」とハッキリ言いました。ただこの人の言い方は人を本当に馬鹿にしているのとはちょっと違い、茶化して騒ぎたいという、ちょうどブラックユーモアも交えた民放のお笑い番組的発言の連発という独特のものでした。しかし色々が当院の為にならないと入職9カ月の頃、「O」と名付けたスタッフが退職させた方が良いと私を促しました。しかし私は甘いのか、「始末書3枚を書いて反省する意思を示すか退職するかして下さい。」と選択権を与えました。これには結果的に始末書3枚に署名捺印しましたので雇用が続きました。
 けれども始末書など紙切れに過ぎません。振り返れば解決になっていませんでした。
 ただ私も反省すべきところはあります。入職半年後くらいの時、人材的に伸びるんじゃないかと思い将来は主任にと期待させる発言をしてしまった事。能力を伸ばせるような環境を作ってあげるところまで手が回らなかった事です。そして昇給を言ってきても査定上からも私が断ったあたりから激しさが増してスタッフ全員に「こんなクリニック辞めようよ!」と何度も声掛けしていました。そして私が労基法に完全順守する勤務を言い渡したら退職して、また医療と無関係な職種に転職しました。
 そして昨年上半期に、その看護師が昨日ブログで書いた他医のところに勤めていると知りました。他医のブログも読みましたが大変だったろうと思います。そこでも「こんなクリニック辞めようよ!」と言い回っていたと私も伝え聞いておりました。

“鼻を整形手術した人の3人に1人は精神疾患がある”というニュース

カルテと、パソコンを立ち上げて画像表示した  題名で検索すると、7月31日のニュースが出て来ますが、美容外科の医師は皆これに気付いてますから、先日の子供もこれで誤解され鼻の整形を断られていた節があります。
ただ私の感触からすれば『極端な希望で鼻を整形手術した人の3人に1人は精神疾患がある』というところです。
さて、美容外科患者のブチキレの人は、顧ればそうなのかも?と思えてしまいます。
後医には、約80万円ほどかけてI型鼻プロテーゼ、耳からの鼻先軟骨移植術と伝えたそうですが、実際は、L型でプロテーゼ入れ替え+耳介軟骨移植(ハイブリッド法)で60万円+TAXと告げています(通常の50万円+他院入替外人風で10万円)。つまり事実と幾らか外れています。
 さて術後3年して険悪なムードで相談室に、裁判沙汰!との意気込みで入られた時には全く不信感に満ちており、カルテで説明しても不穏な顔をされるので、相談室のパソコンを立ち上げ画像を出しカーソルを合わせますと、
撮影の年月日時刻が出ますので、本当に、このプリントの画像が本人のハイブリッドプロテーゼである確証を持ってもらえたと思いました。
 しかしまだ不信な表情を続けます。後医に絶対の信頼を寄せており、後医が軟骨が無かったと言われた事の方をまだ信じている様なので、「プロテーゼ単独挿入なら僅か3年ではスルッと抜けます。鼻先に関しては100%スルッとです。けれども実際は取り出したプロテーゼの先がバラバラになったのは、プロテーゼと軟骨とが外れないから無理に千切って取りだした。この事実からプロテーゼと軟骨が糸で縫合したあったと普通の美容外科の医者なら分かるものです。」と説明したのですが、まだ浮かない顔をされました。それで「他医は昔、私に技術指導の事でメールをくれたことがありますが大手美容外科の勤務歴が非常に短いのです。大手美容外科と言えば鼻はプロテーゼばっかりで、鼻尖縮小の時もプロテーゼをセット割引で勧めきます。だから私など数えきれないほど入れて来たし抜去も相当してきました。しかし他医は今言った点でその事を気付かなかったと思います。」このように言っています。当院に相談に来た方ならご存知でしょうが相談室のパソコンは画像・HP閲覧専用です。パソコンを立ち上げ画像を見せつつ他医からのメールの話しまでしたら、他医への検診時には、「メールを見せられた」と言う。この思考は何なのか?
 「聞かされた」のと「見せられた」のでは我々からすれば意味合いが違います。極端な外人顔を希望した時点や、前世がフランス人の女の子だったのですが等と聞かされた時、何かオカシイと気付くべきだったと反省しています。
 私がここまで書くのは、上述の説明の後、この人に後日連絡くれるように告げたのに1ヶ月以上も何の音沙汰無しで、こっちから留守電を入れましても無視。更に留守電を入れ必ずメール下さるようにメッセージを入れましたら、私へメールでなく受付に電話が架かって来て「カルテは破棄して下さい!もう連絡しないで下さい!!」と短い一方的な話しで終わらされたので、大変遺憾な気持になったからです。

鼻で醜形恐怖症の診断の患者の手術(4)

後日、親御さんが代金を支払い、軟骨移植の手術となりましたが、当日は神妙に手術をしました。
『今日の手術こそ精神外科手術、この子を救うも益々悩ませるも、この手術結果如何・・・。』
藤原佐為(ヒカルの碁)が真剣勝負を挑む時の心境でやりました。
手術直後、正確無比に出来たと思いましたが、そこは外科手術、創傷治癒は落ち着かないと結果の断言は出来ないものです。
(1週間後の診察時)
木村:「はい、抜糸が終わりました。まだ腫れもありますが自分で見てどう思いますか?」
患者:「良い・・・と思います。」
木村:「数日後、再度検診させて下さい。」
(次回診察時)
木村:「どうですか?」
患者:「かなり良くなったと思います。」
木村:「それを聞けて安堵します。まだ微妙に変化をして行きますが、もうこれで一旦は鼻の悩みは振り切って勉学に励んで下さい。」
患者:「はい。」
木村:「こだわり性ですから、気になれば1ヶ月後に検診に来て下さい。そしてまだ何か、と言われれば大学受験が終わってからなら、また受けますよ。」
患者:「ありがとうございます。」
木村:『良かった。表情が良い。精神的な閉塞状況から脱した様に見える。』

・・・藤原佐為は“神の一手を極める”と時々言っていましたが、この子に会ってから自分が佐為になった如く意識しておりました。
私がキッカケになってこの子の未来が救えるのなら本望です。
 精神的ケアを考えた美容外科を目指すのは私の望むところで、当院にも求人で精神科と内科の研鑽を積んだ長島京子看護師を若手スタッフとして昨日から招聘しました。共に頑張って行きたいと思っています。

鼻で醜形恐怖症の診断の患者の手術(3)

木村:「醜形恐怖症ですか。私に言わせれば今日では流行らない言葉でしょうが、あなたは“強迫神経症”ですよ。たぶん。 ・・・それで、精神科医は薬物を処方した?」
患者:「はい。」
木村:「精神科では“生物学的精神医学”として薬物で精神をコントロールすると言いますが、一時的に抑制しているだけに思えます。私はそれが気に入らないです。」
木村:「あなたが言っている、鼻がこうなった方が良いという美意識は正しい。ただ高校生で勉強に励むべき時期に何故それに固執するようになったかは、本当は精神科で、これまた流行らないけど“分析”をして貰いたいところです。ただ理由はともかく今、鼻を自分の理想に近づける手術を受けたら、勉強に専念できると思いますか?」
患者:「はい。」
木村:「誓えますか?」
患者:「はい。」
木村:「では、引き受けます。しかし丁度良いか微妙に物足りない位の結果が出せるようにします。やり過ぎは在学中のあなたの整形が皆にバレる結果になって新たな悩みが生じるのを杞憂するからね。」
木村:「微かに物足りないと思えば大学受験が終わってから、又、来てやるかも位に思い、とにかく鼻がハッキリ良くなれば当面はこの悩みは解消したとして勉強に明け暮れる日々を過ごして下さい。」
患者:「物足りな過ぎは困りますから、しっかり変えて下さい。」
木村:「あなたが見て変わった!と思える位はやります。」
木村:「それと親御さん、本人は自分でお金を貯めた、自分が払う等と言いますが、これは親御さんが出して下さい。」
親 :「先生にそこまで言われる筋合いはありませんが・・・。」
木村:「病的な鼻でもないのにお子さんが悩むようになったのは親の責任です。どんなに利発でも子供は子供、例え子供が超難関大に合格したとしても、それは子供の頑張りもあるでしょうが、親や周囲の環境が整っていたからの事。逆に優秀な頭脳の持ち主の子供が成績が極端に落ち込んでいるのは本人の責任より親の責任が多大です。だから親が手術代を払って当然と私は思います。」
親 :「はあ・・・。」(続く)

鼻で醜形恐怖症の診断の患者の手術(2)

私は最初は親御さんと話していましたが、代わって本人と話しているうちに、『あれ?この子は明らかにIQが高い。』と感じました。それで以下のような話になりました。
木村:「あなたは、どこの高校生なんですか?」
患者:「○○高校です。」
木村:「おお、やっぱり!有名な超進学校ですね。で、今の成績は?」
患者:「実は学年で下から1割内にいます。」
木村:「何と!・・・しかし入学時の成績は?」
患者:「上から2割以内には居ました。」
木村:「何たる惜しいこと!・・・鼻の事が気になって勉強が手につかない?」
患者:「そうです。」
木村:「鼻の事が解消すれば勉強に専念出来ると思いますか?」
患者:「はい、そう思います。手術代も自分で貯めましたから是非やって下さい。」
木村:「鼻をやっても後日まだ気になる可能性もあるし、実は鼻以外の事で精神的に何か有るのかも知れない。でも鼻がここまで気になったら、手術をうけない限り勉強が一歩も進めない。」
患者:「ええ、そうです。」
木村:「どこの美容外科や形成外科も高校卒業までやらないと断りまくったら、勉強に専念出来ずにランクの低い大学に甘んじる。もしくは高校卒業後に鼻の手術をしたら気を取り直して勉強できるかも知れないがそれでは浪人する羽目に。・・・それは大きな損失。」
木村:「・・・良いですよ。この手術、私が引き受けましょうか。」
患者:「ありがとうございます!でも今までカウンセリング受けた美容外科の先生には黙っていましたが、実は精神科に通っていまして、“醜形恐怖症”の診断名も受けています。大丈夫でしょうか?」(続く)

鼻で醜形恐怖症の診断の患者の手術(1)

 先日、親子連れで高校生が鼻の相談で受診されました。親御さんの表情は最初から“困り顔”で、「もう他にも実際に相談に行き断られました。」「電話に院長が出てくれたところがありしたがが、やっぱり断られました。」と断られまくりなのです。
 本人の希望は聞きましたが耳介軟骨移植移植による外鼻形成術となります。しかしこれはプロテーゼ手術と異なり後で抜けば、ほぼ元に戻せるという簡単な手術ではありませんから、普通は高校生に行うものではありません。
 私も名前はよく知っている美容外科の某先生とはカウンセリングの最初の段階ではやる方向で話し合いをしていたそうですが、だんだん、やっぱりやらないと先生の気が変わり断られて帰されたそうです。
 そういう前提知識を与えられましたら私だって断るしかありません。外鼻手術はノイローゼに繋がるものと経験していますから、何をやっても満足せず執刀医は取り憑かれるなんてことがあります。当院に以前居た看護師の言葉を借りれば「院長、刺されますよ。」ですし、数年前でしたか都内の某病院形成外科で朝机の下で待ち伏せしていた患者が執刀医が出勤してきた時、飛び出してその医者の顔を切るなんてことがありました。私もカウンセリングを始めた際、断わろうと思いました。(続く)

日本美容外科学会総会 問題演題の正式採択

ギャラクティカマグナム 200 昨日、あの問題演題が正式に採択されたとのメールが来ました(下記)。
発表で言いたい事は本当はヤマの様にあります。左の「リングにかけろ」くらい熱いです。
しかし、かなりセーブして言わないと大人げないですね。
 ちなみに「リンかけ」は漫画家、車田正美の出世作で昭和54年度は少年ジャンプの愛読者投票で年間通じて1位となっています。当時私も毎週大変興味深く読んでいました。左の画像は私が20歳の時に買った初版の単行本からです。
 車田正美と言えば他に海外でも評価の高い「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」があり、これで2大傑作ですが、「リンかけ」でヒット作を創る自分のスタイルを築き、以降は実はどの作品もそのワンパターンの繰り返しです。しかし黄金のワンパターンなのです。ジャンプの王道の「熱血、バトル、友情、勝利」のストーリーですが、テンポが1,2,3,4,5,6,7,8,9と整然とでなく、1→3→5→9と飛ぶ感じで、話の少々の矛盾は意に介さないのです。
 石森章太郎と比べれば車田正美は天才漫画家とは言えないのでしょうが、根性と熱血と荒唐無稽を地で行くうちに天才並みに近づくと私に教えてくれたエライ人です。「リンかけ」→「風魔の小次郎」→「聖闘士星矢」と次々ヒットを飛ばして行くのを見て、私は「しまった、このスタイルで良ければ自分だって漫画家で10年以上やっていけたはず!」とチト後悔もしました。

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第34回日本美容外科学会総会 演題登録
登録いただきました演題は次のとおり採択されました。

登録番号       : 10107
演題番号       : 47
演題名        : 2つの美容外科学会に20年以上ほぼ毎回参加した者の個人的見解
所属機関部局名    : 美容外科・ヤスミクリニック
筆頭著者名 姓    : 木村
筆頭著者名 名    : 知史
発表セッション名   : 一般演題
サブタイトル     : 基礎・その他
発表日        : 2011/09/30
開始時間       : 14:20
終了時間       : 14:56
発表会場       : 第3会場(2FサボイII)

発表要綱等につきましては、8月下旬に総会ホームページへ掲載いたします。

ブチキレ患者さんから顧みる

 前回のブログから顧みることですが、内科などでも後医が前医をつい悪く表現することがあります。例えば「髄膜炎を単なる風邪症状として見逃したんですかね。」なんて事です。後医はつい口にしただけでも、患者さんは前医の「誤診」と受け取り、医師を敵視する衝動に駆られている弁護士に相談すると裁判が起きたりします。
 私は以前、藤田康幸弁護士主催の医療と人権のメーリングリスト(mhr)に参加していましたが、この参加弁護士や提灯持ちの人達の発言に、度々こっちの方がブチキレていました。私があのメーリングリストの中で書いた一例に、「(弁護士の)先生たちは医療行為の結果をRetrospective(今から過去に向かって)に見る。つまり結果から見るから、“こんな事するからこんな結果になったんだ”と責める。」「また結果があるから医師に過失や因果関係もあった筈と推測するのだが、医学知識がないから空想のこじ付けで“風が吹けば桶屋が儲かる”という故事同様の主張をしている。」と書いた事があります。相手もブチ切れる人がいて、結局、Prospective(今から未来に向かって)に予見しつつ医療行為を行う医師と、Retrospectiveに窺い医療行為に糾弾のネタ探しをする弁護士や医療ジャーナリストとの間には永遠に相互理解が得られないものだと達観しました。

美容外科患者のブチキレ(後半)

ハイブリッドプロテーゼ 外人顔に成りたい患者さんが術後2年半以上経って、鼻が曲がってきたとのことで来院されました。皮膚の緊張に耐え切れず鼻根部~鼻尖部の距離を短くする形でプロテーが傾いていました。鼻先は流石に軟骨と軟部組織を付けているので破れることはないようですが、皮膚にテカリが出るほどになっていました。
 そのため耳介軟骨を用いて鼻翼軟骨内側脚の間~鼻中隔の間にStrutを置き強度を増して、且つ鼻先には再度軟部組織を移植の話をし、30万円+消費税の料金と言いました。初回のプロテ入替+耳介軟骨のハイブリッドプロテ手術で60万円+消費税を支払われておりますが、術後しばらくは真っすぐだった後で2年半以上過ぎて曲がってきた事に再手術を行うとなれば、期間や手技のレベルも合わせ30万円+消費税は妥当なご請求と思いました。写真の外人鼻を成功させるとは難しいものです。この人はこの日はカウンセリングだけで帰られました。
 ところが術後3年以上経って大層険悪なご様子で当院に現れ、他院で再手術(プロテーゼを短くし鼻先に軟部移植)した際、担当医がヤスミクリニックは軟骨移植はしてなかったようだ。と説明したとのことで相当ブチキレていました。私は『何言ってるんですか?』と唖然とし、直ぐカルテの写真を見せ、カウンセリングの時、説明したまんまのハイブリッドプロテーゼが写っているじゃないですか(左写真)。と話しました。
 すると今度は患者さんの方が呆気に取られた様子でした。ハイブリッドプロテーゼは3年くらい経てば移植組織は鼻先にガッチリ癒合し、取り出そうとしても、プロテーゼと軟骨を縫合してある糸を丁寧に切ってプロテーゼだけ取ることになるか、プロテーゼを破壊する形でプロテーゼだけ取りだす事になります。いずれにせよ通常の鼻孔内切開で耳介軟骨を見つけて摘出は行い難いのが普通です。それを説明しました。この人は最初の凄い剣幕とは打って代わって絶句して帰宅されました。

美容外科患者のブチキレ(前半)

美容外科患者の逆切れ 昨日、美容外科医師の逆ギレと書いたので、患者さんの方で似たようなものは無いか、この1年以内で振り返りますと、逆ギレという語彙と少し違うと思いますが、術後3年以上経ってブチキレて当クリニックに来院され、全く見当違いなクレームを付けた方がいました。
それは、平成19年初診の人ですが、印象深かったのでよく覚えています。さて、この人は「鼻を高く長く、写真の外人の様にしたい」と言われ、他にも色々外人の写真を持参されて私に見せるので、何でこんなに外人に拘るのか不可思議に思い、
木村:「貴女は前世が外人だったじゃないですか?」
患者:「えっどうして分かったんですか!」
木村:「何、ホント!?」
患者:「私は霊感の先生から言われてますけど、前世がフランス人の女の子だったのですが成人に達する前に死んでしまったので、白人の大人の女性の顔に成りたいという気持ちが抑えきれないんです。」
木村:「・・・(Oh! My Goodness!!)。」
とにかく外人願望が強いのは分かりましたから、持参の外人の写真を見つつ耳介軟骨を使ったハイブリッドプロテーゼで鼻を整形するカウンセリングをしました。後日の手術は綺麗に仕上がり、検診の際も、その人は「大満足」とのことで、更に後日は目の切開のカウンセリングもしたりしました。
 しかしその後に年月が経ち誤解とは言え、激しいクレームを付けてくるようになるとは思いもよらぬ事でした。→To be continued.