今度は研究で博士が取得できれば幸せ

お正月に書いたように私には母校愛があり、新大学病院設立時の寄付に応じました。これで大学に見返りを求めた事など一切ありません。遠く離れていても寄与できたことに『嬉しいなあ』と思うだけです。
この寄付は全額が損金で落とせます。寄付しない場合は法人税を引かれ法人に入った金は自分のものではなく、役員報酬で自分が取るときは住民税を合わせ55%もの税率です。これなら尚のこと母校に寄付したくなります。
米国大への学位申請の話の時も、長年の過重労働を評価されて論功賞が貰えるとは『嬉しいなあ』と思った次第です。

さて、3年前の保健所からの電話と不思議なメール「学位取得先を教えてください。」から私の論功博士号は大丈夫か?と思ったことがありましたが、調べればやはり公的認定の大学から授与ですから取り下げるまではないと判断しました。

ただ親兄弟には相談しており、兄も弟も大学院修了の医学博士で、兄は学位論文を米国の一流誌に載せていますが、「違法でないなら良いんじゃないか。」とは言ってくれました。しかし弟は中規模病院ですが病院長をしているせいか、父に説いて学位の取り直しを奨めてくれ、最終的に父(病理学で学位)が「俺が死ぬまでに取り直せ!」と命令してきました。

米国大の学位申請の頃は休みなく毎日21~23時まで働いていて時間的に無理でしたが、昨今はそうでもありません。整形外科の夜間講習などは楽しみでもあり結構受講しています。ただ講習は研究とは違いますから、研究というのも又良いだろうと、私が10年以上前から関心が深い事をテーマとして、某大学医学部教授に「研究して学位論文に価するものが出来た際には学位申請を」と、正式に申し込みしたのが約1年10か月前となります。

今、私は某大学医学部に時々行っております。先日書きましたように、もう1人の教授には初対面時に結構厳しいことを言われ、次のメールを頂いています。 「そこまでの覚悟があるのでしたなら、~~必要な手続きを済ませてください。~~できないときは、諦めてもらうことになるかもしれません。それでもよろしいですね。」(中略だが原文のまま) ここに情実は一切ないでしょう。 論文博士の形は取りますが論功等でなく、研究で「学位論文に価するものが出来るか」これに掛かっていると思います。