茅ヶ崎徳洲会総合病院  ≪茅ヶ崎徳洲会総合病院≫

 この病院は湘南鎌倉病院のスタッフを大勢育てた産みの親の病院みたいなもので、ここに実質的に医長のような立場で私が赴任するというのは、結構なプレッシャーがありました。しかし救急車がバンバンやってくるので外傷中心の整形外科医として活躍が期待できるのは、非常にやりがいも感じました。

  部長はおられましたが、大学でハンドサージェリーのスペシャリストととして手首から先の精緻な手術を主に行う方で、ご年齢も還暦を迎えていらっしゃったので、ハンド以外は私が頑張る立場にあり、部下は徳洲会入職のシニアレジデントと北里大学形成外科から整形外科の研修にきた若手で、私の部下は多い時に3人おりました。

 ハンドの手術は部長の巧の技を見せて頂き勉強させてもらいましたが、他の分野は、これまで私が培ってきた整形外科学・外傷学の実力勝負といったところで、余程の難治例は湘南鎌倉に送っていましたが、大半は私が手術、もしくは私が部下を指導して手術させ結果を出してきました。 また小田原に慈恵医大系列の整形外科病院があり土曜の14時から夜中まで、難易度の高い手術まで含めあらゆる手術をやっていましたので、茅ヶ崎を毎週土曜は13時過ぎに出てバイトではなく研修として自らの執刀も含め参加させてもらい技術の伝授を受けていました。

 茅ヶ崎では1年中、外傷の処置&手術に追われ、手術室での私の執刀件数が部下にさせたのを除いても年間で300件を超えているような苛烈な勤務で、毎日が戦争といった感がありました。しかし私は救急車の「ピーポーピーポー」が聞こえると無性にやる気が出てくるタイプで、深夜に開放骨折がくると部下と伴に、手術室で大量の生理食塩水で洗浄した上で、まだ受傷から2時間も経ってないから、「このまま骨接合術をやる!」と言っては、呼び出された研修医と看護師をどっと疲れさせていました。しかしこれは、その時に洗浄+鋼線牽引で済ませ、後日のオペ室の定例枠に入れようとすれば、10日先、2週間先の手術となり、機能的予後が悪くなるのは明白だったから、やらざるを得なかったのです。

 ある日、整形外科の代表的企業であるZimmer社の人が「大学病院を除く神奈川県の病院の整形外科でZimmer製品の発注額の多さで茅ヶ崎徳洲会は5番目でしたよ。」と言われた時、連日のように骨を切っては金属を付ける手術が多かったでしたから、さもありなんと思いました。

 外傷処置と手術に明け暮れる日々が続くうちに整形外科専門医の証書が学会から届き、また茅ヶ崎徳洲会総合病院自体が私の功績は認めてくれたからと思っていますが、本来より1年早く「医長」に任命してくれました。

 四肢の軟部・靭帯損傷の再建、骨折の手術(キュンチャー・創外固定)、人工関節・人工骨頭置換は運動機能を回復させる尊い医療であり、無我夢中でやっていた頃は、絶対成功させるの一念で一心不乱でやっていました。しかし随分な症例も積み上げ自分を顧みる気持の余裕が出来た時、「う〜ん、やはり芸術的な仕事がしたい。」と当初の予定通り、美容外科をやりたくなった自分に気付きました。
 それで丁度、半年間の外国留学から戻ってくる徳洲会湘南グループの医師が、万一私が退職した場合は、茅ケ崎に勤めてくれるのは間違いないのが分った時、その医師の帰国に合わせる形で茅ケ崎に辞表を提出しました。 愛する病院にご迷惑は掛けたくなかったのです。
 退職後も3ヶ月間は私が執刀の患者さんのフォローのため非常勤で外来勤務のみしました。

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