≪なぜ漫画家を志したのか≫
左記を読んだ時、自分と凄く似ていると思い、立ち読みで済ますはずの雑誌を買いました。
漫画家を志すとは職業を選択するという感覚では無いです。損得感情ではなく紙面に、ほとばしる情熱を叩き付けたいという衝動を持続 させるようなものです。
私は不思議に子供の頃から絵が上手いと言われ、小学校・中学校では幾つか受賞しましたし、デパートなどに自分の絵が何回か貼られた事もありました。でも中学生まで絵画関係の仕事に就くことは一度も考えたことはありませんでした。
中学生までは将来、大学へは理学部か医学部に行きたいと思い、丁度、中学卒業の頃に3才上の兄が熊本大学医学部に合格したので、自分も3年後は、その辺で行こうか位に考えていました。
高校1年では美術・音楽・書道の選択からは授業時間内で済む書道で良しとしていましたが、高校2年後半〜3年に偶然、岡本太郎の「今日の芸術」を読んで感銘を受け、芸術作品創作へ渇望を覚えました。ただ私にとっては天才漫画家の手塚・石森・永井に続く漫画家になれたら、やっぱり素晴らしいといったものでした。
それは兄が昔から大量の漫画を読み、少々は漫画も描く人でしたから、私が影響を受けていたためと言えます。
私が高校生の時、育ての親の祖父母が相次いで亡くなり、一人で寝起きして高校に行っていましたが、戒める人もいないと関心のある本を読みふける日々が続き、国立理系クラスにいたのに化学・倫社・世界史・地理B・現国以外の科目は成績が芳しくなく卒後は浪人しました。しかし予備校にロクに行かずに又々読書に励んでしまいました。歴史と哲学、社会学などの本と集英社の漫画が中心でした。そのうち浪人で社会と隔絶されているためか熱病にうなされた様に漫画家になりたくなり、「第一線で活躍している漫画家は皆、20歳までにデビューしている。」と思うと焦りを覚え、今から思えば全くの一人よがりの「社会思想」をアピールしたいと思っていました。
当時は言わずと知れた手塚治虫さんの作品群にレベルの高いものが幾つかあり、また少女漫画も萩尾望都・大島弓子・竹宮恵子さんらの作品はレベルが高そうに言われており参考にしました。そしてケント紙・開明墨汁・Gペンという一般的なスタイルで2浪の秋までに3作品を描きました。そして3作品目は予備校での知人も「木村君、これで漫画家になれるね!」と褒めてくれました。そしてこの3作品目を入選の敷居の高くないヤングジャンプの月例フレッシュ新人賞に投稿しました。しかし予感はしていたものの入選に至りませんでした。ただ入選の最終候補作として名前と批評が紙面に載りました。私の落選とほとんど同じ時期に少年ジャンプの方の月例新人賞で「キャプテン翼」が入賞して、私は読んでみて「なんだ。」と思っていましたが、これが後年の世界的漫画「キャプテン翼」に化けたのでした。
私は賞の結果が出る前に、描いた3作品を通して、自分の漫画家としての限界や適正欠如に気がつきました。そして職業としての漫画家とは苦行の連続であり漫画家の永島慎二さんが描いたように「漫画家残酷物語」に陥るのが9割と感じました。
落選が決まった頃の11月に丁度、親父が予備校の寮に訪れ「もう良いんじゃないか。」と諭すので、この辺りで自分の漫画家人生の夢を摘む事にしました。
翌年、医大入学後もアニメ部員として漫画を描き投稿しましたが、浪人中ほどの気迫のこもったものでなかったからと分析していますが、これは最終候補作にも入らず、また落選しました。
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