齋藤隆裁判長(ひかり総合法律事務所の弁護士)は期待権の侵害という禁じ手で判決を書いた

この事件は「手術中の患者を放り出しても捻挫を診なかったから550万円+金利を払え」と、『一般読者の普通の注意と読み方では』手術患者を無視した賠償の認容だったが、齋藤隆(元)裁判長(以下「齋藤」と称す。)は今は弁護士なので聞き出せるかと思い尋ねたら、真実を吐露した。 それは当時から批判の多かった「期待権の侵害」からだった。 これは制定法にない患者救済のための悪しき打ち出の小づちと言われた「期待権の侵害」であるが、抽象的であり恣意的でもある。だから齋藤は常識的判断の轍を踏み外してし公平性を著しく欠く判断をしたのである。 「期待権の侵害」は、H23年2月25日最高裁判決で「患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に、医師が、患者に対して、適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである」と判断が出ている。 齋藤の裁判官としての判断は衡平を欠き、論理的でもなかった。 また、齋藤は書面も、ろくに読んでいなかったのが発言からで分かった。 以下被告医師の準備書面(4)を2箇所転写する。 脂肪吸引のカニューレの動かし方 齋藤の発言「脂肪吸引術のやり方、組織を攪拌すると」から、↑を読んでいない(理解しない)のが分かる。 大伏在静脈 齋藤の発言「血栓が飛び易いと、」↑千葉大血管外科の教授の論文からの主張も読んでいないのが分かる。 以下会話内容を記すが、途中に反証(手術中であった / 受付は伝えていない)の画像を挟む。 ――――――――――――――――――――――― 木村:弁護士の小田耕平先生の「美容医療の判例と実務」という本を見つけまして、その中で齋藤先生が判決を下されました判例の解説で「損害における医療行為と因果関係に工夫がしてある。」とありますが、工夫の詳細まで書かれていないので、それをお教え頂きたく齋藤先生にお電話させて頂いた次第です。 齋藤:それは私が東京地裁の時に担当した脂肪吸引の件ですね? (※木村が具体的内容を言わないのに「脂肪吸引の件」と言い当てた!) 木村:そうです。 齋藤:あれは手術の過誤で請求原因が構成されていまして、脂肪吸引術のやり方、組織を攪拌すると、血栓が飛び易いと、それについての術後の配慮、術後の療養、そこがおろそかだったために術後の血栓が飛んだことに対応が遅れたということで、確か請求原因が組み立てられたと思うんですけど、そこがなかなか難しいと。 但し適切な療養指導であったかどうかとの観点から見ると、説明の仕方とかの問題もあるので、そういう意味では死亡についての因果関係までは認め難いけれども、適切な医療を施さなかった、判例でいう当時としてはよく期待権の侵害とか、適切な医療を受ける権利の侵害ですね、そういう意味の法益侵害だったのではないかと、というようなことで、そういう意味での人格的利益の侵害と組立てると、必ずしも死亡そのものとの因果関係じゃなくてもですね、そういう人格的利益の侵害という面で損害を構成できるということで、一部認容したという事案だったと今も記憶しています。 木村:期待権の侵害とは最高裁で平成十何年かに認められなくなった考えの筈ですが? 齋藤:言葉として使っていなくてですね、期待権の侵害という言葉で説明もしてませんが、考え方として、生存の可能性を侵害したとか、最高裁の判例でいうと、そういうのが続々と出ていますけど、基本的には、適切な医療を受ける機会を失わせたという意味での法益侵害もあるだろうということで。当時の議論状況としては期待権の侵害なんかと軌を一にするような考え方で、損害を構成してみたら、患者に当時の立場ですね、特に血栓が飛び易いところですから、その後の生活に気をつけて何か兆候が出た場合には直ぐに医療を受けると、そういうことが対応して良かったのに、そういう機会がないために、結果的に死亡に至った訳ですけど、そう意味で行くと死亡と因果関係というとなかなか難しいとしても、適切な指導があれば、そこで患者も違ったんじゃんじゃないかという考え方での判例のものですから。 損害認定の面での工夫しているとすれば、そういう意味での直接的な、死亡に伴うもろもろの財産的損害とか精神的な苦痛とかですね、そこには行かないけれども、その前のところの人格的侵害とかをですね考えられるということで出した判決だったと記憶していますがね。 木村:ああ。なるほど。 予約患者の手術中 齋藤:脂肪吸引術等については皮膚の中の組織について攪拌なんかすると、血栓が飛ぶ恐れが非常に強いと。従って術前にもそういう配慮が必要だし、術後にも療養指導的な意味も含めてキチンと対応しなければならんのですね。ただ直接的に本件の脂肪吸引術と、その後の死亡に至るまでの転機についての因果関係が具体的に証明できるかというと、そこは問題があると思いますので、そこで損害のところでも死亡およびそれに基づく経済的、精神的損害について認める訳に行かない。という状況の元で、ただ訪ねてきた患者にろくに診察もせずに帰したとういう感じたっだと思います。そこをちゃんとやっていれば、という感じがしたもんですから、そこんところで適切な医療を受ける権利を侵害されたみたいな考え方で、あすこの判決を出したような記憶ではあるわけですね。そこんところが判示の仕方としてご納得頂けるかどうかですね。 これは当時、期待権侵害だとか治療を受ける機会の喪失だとか、あとは死亡に至る危険性とかですね、いろんな考え方も皆出ていて、最終的には最高裁の判例はああいう形で収㪘して行く訳ですけど、色んな型が出ている時代における一つの私どもの考え方と。 受付は伝えなかった 木村:(判決では死の前日に受診した患者さんを)医師が診察しなかったから医師に賠償責任が来てるんですけど、医師って我々もそうですけど、診療時間に患者さんが来たら診察を断るというのは通常無い訳です。医師には応召義務がありますから。で、断わるというのはどういうことかというと他の患者さんを診てるとか自分の領域と全く専門外だから診療出来ないなどであり、どういう理由で医師が応召義務違反を破って診なかったかと? 齋藤:応召義務違反として構成されている事件じゃありませんので、私もそこについての判事はしていないと思うんですが。だからあの当時における医師の医療的な措置を施す義務というですかね、純粋医学的な当時の医療水準に従ったやり方として、どういうことをすれば良いのかという関係から言っているわけで、忌避的な医療法違反の応召義務の問題かって、切り口で書いている訳でないですが。 木村:分かりました。あと自分が知りたいのは小田耕平先生が書いた本の「因果関係の工夫。そもそも手術後の深部静脈血栓と肺動脈塞栓の症例で予見可能性の有無程度、取るべき措置の内容、救命可能性の判断は非常に困難である。その中でこの判決は、平成12年にあった最高裁の判例の論理を踏まえて、執刀医師が患者の診察を怠った点において医療水準に則した適切な医療を行ったとは言えないなどとしており、因果関係認定に工夫がみられる。こう書いてることです。 齋藤:それの因果関係というのは、損害と医療行為との間の因果関係、損害と元々の原告の請求原因ですね、挙げられているのは死亡に至るまでの危険な行為をしたので結果的に被害者が死亡して、それに基づいてそれに伴う慰謝料、死亡に伴う逸失利益、そういうものを主張した訳ですね、ところがですね、直接的にそこに因果関係は認めるのはなかなか難しい。 木村:そうです。そこから賠償責任が来てないんです。 齋藤:そうすると、そこで残るものは、当時我々が議論していたのは人格的利益ですね。 木村:つまり期待権の侵害と軌を一にするものですね? 齋藤:まあそういう適切な医療を受ける権利であり、そういうことを侵害されたと構成すれば、それはある意味、慰謝料ですね。そういう面での精神的な慰謝料として考えられる。当時の当該医師は必ずしも医療水準に従った適切な行為、特に日常生活上の血栓が存在することを予防するための必要なルール指導、そういう面も含めて、医療水準に適合した指導がしてないと考えられたので、それは取りも直さず適切な医療を施していないとなりますし、それを受けられなかった患者の精神的苦痛とは関係がある。それをもしかすると小田先生は、因果関係としてですね、工夫という言葉で書いているんじゃないですかね。 木村:なるほど。分かりました。 齋藤:私としては判決文から当時のことを思い出してご説明申し上げた次第です。 木村:お電話で突然、恐縮でしたけど、本当にありがとうございました。 齋藤:いえ、いえ、とんでもない。 木村:感謝致します。今日はありがとうございました。 齋藤:こちらこそ。 木村:では、失礼致します。 ――――――――――――――――――――――― 応召義務に関して「私もそこについての判事はしていないと思うんですが。」とは、手術の患者のことは判断せずに、捻挫で来た患者のことだけ考えるので済ます凄く単純な判断である。 被告医師の準備書面は実は「読まなかった」としても証人尋問で被告医師と受付の2人から、「捻挫の来院の時に手術中だった」のは聞いているのだから、やはり「そこについての判事はしていないと思う」のとおりだろう。 「期待権の侵害」などという洒落た言葉を使ったからって、齋藤には裁判所で訴えた側(原告のこと)だけでなく、医療機関で手術中の患者の適切な医療を受ける権利の侵害も考えて欲しいと思う。たぶんだが、他の裁判官ならその発想は普通にするのではないか。 仮に、齋藤の命令で「手術中の患者を放り出しても捻挫を診ろ」が実行され、受付から医師にも伝わり、医師が捻挫治療と高次病院への搬送等に長時間関わって、手術中の患者(11月23日のこの時間は静岡の●川さん)の顔が結果的に変形したり切開したままで開いた創縁が壊死して傷が残ってしまったら、●川さんが激昂して被告医師と齋藤の顔に金属を使って傷を付けるなど有っても仕方ないと思う。十数年前も杉並区で恨んだ患者が早朝から待ち伏せして医師の顔を刃物で切った事件があった。 結論から言って齋藤の「手術中の患者を放り出しても捻挫を診るべき。」との判断は医師にとっても患者とっても齋藤の顔(金看板)が傷付けられても仕方ないほど許せないことである。