プロフィール

ヤスミクリニック院長木村知史ヤスミクリニック院長 木村知史 医学博士 S35年6月、長崎県生まれ。 大学病院助手、総合病院医長、大手美容外科分院院長・東京院副院長などを歴任。 オフィシャルブログはこちら

主な経歴

昭和54年 大分県立大分上野丘高等学校卒業
昭和56年 藤田医科大学医学部医学科入学
昭和62年 同校卒業 / 久留米大学医学部附属病院|整形外科・麻酔科・救命センター
平成3年 湘南鎌倉総合病院(徳洲会湘南)|整形外科
平成5年 茅ヶ崎徳洲会総合病院(徳洲会湘南)|整形外科
平成6年 大塚美容形成外科、ヤスミクリニック|美容外科
平成8年 コムロ美容外科東京、ヤスミクリニック|美容外科
平成12年 リッツ美容外科東京、ヤスミクリニック|美容外科
平成14年 ヤスミクリニック|美容外科

学会専門医&標榜医

美容整形修行

高2の頃に美容整形医となるのをふと思いつく。高卒後に漫画家になるのに挫折したので医学部に入った時、将来は美容整形医になると予感。医学部5~6年時は夏休みに美容外科クリニックで見学や大学の整形・形成で自主的に手術の助手に入る。昔は形成・美容をやるにしても整形外科から開始が少なくなかったから、美容外科学会理事の開業医の奨めで整形外科入局。研修医の時から美容外科クリニックでの見学か非常勤勤務を月4~6回、大手美容外科常勤となった後は、ヤスミクリニックで休日・夜間勤務を続けた。

漫画業

20才の時のヤングジャンプ3回目の投稿も、入選最終候補作に残って名前と批評が紙面に載ったが入選はできず、それで漫画家になるのは諦めて医学部受験。でも二十余年後年月刊雑誌Pococeに「Dr.木村の美容整形講座」連載。それ以前は年賀状描きと冊子のイラスト位。また週刊雑誌スピリッツで美容整形漫画「SKIN」の監修。最近ひさしぶりに気合いを入れて描いたら懐かしい女の子が描けた。大好きな漫画は「ヒカルの碁(佐為編)」。

中欧史研究

高校1年の6月頃ふと書店で手にした歴史書から、坂道を転げ落ちるように中欧史の研究に没頭。近代~現代の移行期がフィールド。医学部の3年以降は医学の勉強に専心したが、余興と言えばこれ。医師として働きだしてからは余り時間が割けずとも、現在を歴史の中に鑑みる。

目と肌

子どもの頃から綺麗だった。目は佐々木希に似てるけど少し二重幅は狭めで睫毛もまあ長め。今も若い女性と比べて遜色ない。肌は二十歳過ぎてから紫外線を浴びない様に過度に気を使っていたら、夏でも真っ白で白石真衣ちゃん並みに美しかった。今は流石に劣化を感じるが同年代の男性より遥かに良く、同年代の女性でも並みの人よりは良い。

この仕事とは

整形外科(交通事故やスポーツ外傷)をやっていた頃は毎晩23時まで働いてヘトヘトで、週に1度は休みの時間帯を設けなければ、やっていけないと思い、実際に日曜午前に病棟回診した後は午後は待機していても休息。しかし34歳の時、美容外科の常勤になって2ヶ月してからは、41歳で開業するまで、1年360日(つまり年5日位しか休まない)、2つのクリニックに掛け持ちで働く事が多く、朝10時から夜23時まで働いて当たり前、時には深夜2~3時(稀に5時)までヤスミクリニックで働くことも多かった。なぜこんなに働けたか自問するが、天職だからと言うか、この分野に対する業(カルマ)が自分にはあるのだと思う

ルーツ

宇多源氏佐々木氏の庶流が東近江木村の地頭となり木村を名乗る。後に安土桃山時代の武将木村重成を輩出。重成は大阪夏の陣で討ち死に、その木村長門守一族の一部が肥後藩に逃れ明治になるまで奉職(熊本城の古文書で確認)。近世は医家となり、木村知史は3代目。

前世

仮に前世なるものがあるなら、エルベ川より東の中欧人(西ウクライナ含)。上に「坂道を転げ落ちるように中欧史の研究に没頭」とあるように、現地旅行でデジャヴを感じた。ビスマルクを顧る。