久しぶりに漫画を描いては懐かしく思う。

ヤスミクリニック 木村知史本日、事のなり行きで「漫画を描いて頂けますか。」という話になりました。しかし私は もう日頃は漫画を描く事もないのでケント紙など無く、代わりに医療機器案内のDMが厚地の白封筒だったので、この裏に描いてみました。

最近流行りのアニメの女の子を参考に描くとなったのですが、忠実に真似て描きもしませんでしたし、私の絵のベースは弓月光先生ですので大分印象が違います。

私たちの若い頃の漫画家と言えば神様の手塚治虫先生、天才の石森章太郎先生で、私が19、20歳の時に本気で漫画家になりたいと思った頃、この神様と天才を仰いで何がしかの影響は受けています。ただ神様も天才も量産のために殴り描き的で、絵柄的には弓月先生の作風の方が私の感性には合っています。

漫画は医学部の教養課程の2年間は、まあまあ描くこともありましたが、その後はハードな勉強や医師としての激務で、殆ど描く余裕が無くなり、久しぶりに描いた今日の絵も、もう何年ぶりだろうと言うものです。

そして描いた絵を見ては20歳の頃の自分に会えた気がします。今日描いた絵なのに大変懐かしいのです。
この後で描いたもう1点は、この頁
20代に描いた年賀状←これは見て!)
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16/02/09  私は高校卒業後の浪人1年目は、予備校も通わず、古家に1人住んで哲学と社会学と歴史の読書と思索に耽っていました。
そのうち漫画に傾倒し遂には漫画家になろうと決意したのですが、途中出会った『ボクの初体験』(弓月光)には、感性に響くものがあり、『こんな綺麗な絵を描きたい!』という衝動を覚えました。浪人2年目の11月の途中までには、1日16時間描き続ける日もありましたから、女の子に関しては弓月(亜)流を確立できたと思っています。

医学部入学後は講義への出席、放課後のテニス部での練習、学生同士の遊びの付き合いで、漫画に精進出来なかったのは仕方ないことでした。
漫画家としては不発でしたが、ケント紙とGペンが、女性の顔体と手術器具に置き換わったのであって、今も同じものを追い求めているのだと思います。