医学部受験の多浪生

東京医大の受験生で多浪は実質減点の報道があったわけですが、医学部受験専門予備校には5浪とか6浪とかいう人が実在するそうです。いったいどういう素姓の人でしょうか?

私の場合、2浪の11月のヤングジャンプの月例新人賞の発表で、もし入選できていたら、結局これで、後々4浪か5浪か6浪あたりでの医学部受験になっていたはずです。
ヤスミクリニック 木村知史

集英社は入選すると連絡してきて、「漫画家のアシスタントを半年ほどやった後、10週連載のチャンスをあげますが、やってみますか?」等と言ってくれます(当時)。
仮に私がこうなれば、私は喜んで「お願いします。」と言ったでしょう。

それまでの10カ月程、真剣に漫画に打ち込んでいて、絵はかなり上達しました。それに高校の時は西洋史と倫理・社会を相当研究していたので、漫画のストリーのバックボーンになるものは持っていたつもりでした。

しかし私くらいの絵を描ける人はいっぱいいます。デビュー出来ても、ヒットするストリーをずっと編み出して行くのは常人には出来ません。多少才能があっても数年以内に燃え尽きる人が大半なのが漫画界です

私に入選できた別の未来があったとしても、たぶん5年以内に挫折して、多浪生として医学部受験をしたと思います(大学に行かなければ再受験組じゃないから、やはり浪人という言葉でいいと思います)。

6浪としてなら私の場合1985年となりますが、この年くらいから1991年くらいはバブル経済の前後で理系の優秀な人は理学部や工学部に行ったので、医学部の偏差値が一番低い頃でした。ですから多浪生排除の医学部でなければ、私も周回遅れですが、必ず入学できたと思います。

医学部受験専門予備校にいる多浪生って同じように色々あったからじゃないでしょうか?
天皇陛下の手術をされた天野先生も2浪目はパチンコに明け暮れたそうですが、手動パチンコで磨いた技が心臓外科手術の秀でた結果に繋がっていると言われます。

今回の東京医大の事件で、女子に加えて多浪生の受験のハードルが下がるのを願います。(上方の絵は、2年半前に描いた時に描いたもう1点。)