ヤスミクリニック院長 木村知史 医学博士 大学病院助手、総合病院整形外科医長、大手美容外科分院院長・東京院副院長などを歴任。そして指導を受けた安見正志先生の意思を継いで美容外科・ヤスミクリニックを後継開業。
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主な経歴
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大分県立大分上野丘高等学校卒業 |
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藤田医科大学医学部医学科入学、6年後に医師免許取得 |
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久留米大学医学部附属病院入局|整形外科・麻酔科・救命救急 |
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湘南鎌倉総合病院|整形外科・麻酔科・救命救急 |
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茅ヶ崎徳洲会総合病院医長|整形外科・麻酔科・救命救急 |
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大塚美容形成外科、 ヤスミクリニック、杏林堂林病院整形外科 |
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コムロ美容外科東京、ヤスミクリニック、杏林堂林病院整形外科 |
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リッツ美容外科東京、ヤスミクリニック、杏林堂林病院整形外科 |
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ヤスミクリニック後継開業(平成26年~令和2年 東京女子医大在籍) |
学会専門医&標榜医
美容整形修行
高校2年の時に将来美容外科医となるのをふと思いつく。高卒後に漫画家になるのに挫折したので医学部に入った時、やはり美容外科医になると予感。医学部5~6年時は休暇中に大学の形成外科の手術の助手に入ったが、形成外科のチーフに将来は美容外科をやるつもりと言ったら激怒された。それで美容外科学会理事の開業医の奨めで整形外科入局。研修医の時から美容外科クリニックでの見学か非常勤勤務を月4~6回、大手美容外科常勤となった後は、ヤスミクリニックで休日・夜間勤務を続けた。
漫画業
20才の時のヤングジャンプ3回目の投稿も、入選最終候補作に残って名前と批評が紙面に載ったが入選はできず、それで漫画家になるのは諦めて医学部受験。でも二十余年後年月刊雑誌Pococeに「Dr.木村の美容整形講座」連載。それ以前は年賀状描き(綺麗系)と冊子のイラスト位。また週刊雑誌スピリッツで美容整形漫画「SKIN」の監修。最近ひさしぶりに気合いを入れて描いたら懐かしい女の子が描けた。大好きな漫画は「ヒカルの碁」。
中欧史研究
高校1年の6月頃ふと書店で手にした歴史書から、坂道を転げ落ちるように中欧史の研究に没頭。近代~現代の移行期がフィールド。医学部の3年以降は医学の勉強に専心したが、余興と言えばこれ。医師として働きだしてからは余り時間が割けずとも、現在を歴史の中に鑑みる。
目と肌
子どもの頃から綺麗だった。目は佐々木希さんに似てるけど少し二重幅は狭めで睫毛もまあ長め。今も若い女性と比べて遜色ない。肌は21歳途中から紫外線を浴びない様に過度に気を使っていたら、夏でも真っ白で白石真衣ちゃん並みに美しかった。今は流石に劣化を感じるが同年代の男性より遥かに良く、同年代の女性でも並みの人よりは良い。
この仕事とは
整形外科(交通事故やスポーツ外傷)をやっていた頃は毎晩23時まで働いてヘトヘトで、週に1度は休みの時間帯を設けなければ、やっていけないと思い、実際に日曜午前に病棟回診した後は午後は待機していても休息。しかし34歳の時、美容外科の常勤になって2ヶ月してからは、41歳で開業するまで、1年360日(つまり年5日位しか休まない)、2つのクリニックに掛け持ちで働く事が多く、朝10時から夜23時まで働いて当たり前、時には深夜2~3時(稀に5時)までヤスミクリニックで働くことも多かった。なぜこんなに働けたか自問するが、天職だからと言うか、この分野に対する業(カルマ)が自分にはあるのだと思う。。
ルーツ
宇多源氏佐々木氏の庶流が東近江木村の地頭となり木村を名乗る。後に安土桃山時代の武将木村重成を輩出。重成は大阪夏の陣で討ち死に、その木村長門守一族の一部が肥後藩に逃れ明治になるまで奉職(熊本城の古文書で確認)。曾祖父は裁判官。祖父の代から医師で、父・兄・弟・親族と医師が多い家系。
前世
仮に前世なるものがあるなら、エルベ川より東の中欧人。上に「坂道を転げ落ちるように中欧史の研究に没頭」とあるように、現地旅行でデジャヴを感じた。