日本美容外科学会臨時総会 議事抄録

(先日、十仁系美容外科学会誌が届きました。巻末に6月28日の美容外科学会での学会統合に関する抄録がありましたので抜粋させて頂きます。)
高須克弥議長より臨時総会の開催が宣言され、我々の名誉を尊重した対等合併を目標である旨が説明された。
臨時総会に参加できない会員からのアンケート結果(賛成25票、反対1票、高須氏に一任35票)が紹介。
ヤスミクリニックの木村知史先生、ノエル銀座クリニックの保志名勝先生、札幌美容形成外科の本間賢一先生、松山医院の松山淳先生などにより合併することに認定医、専門医などの扱いに対する質問や形成外科出身者以外が排他的に扱われる危惧などの質問があった。
高須議長は認定医、専門医など既に取得の資格の継続や形成外科が標榜される前からの重鎮会員の名誉やを尊重した対等合併である旨が説明された。
市田正成先生よりJSAPSも大多数が合併に賛成しており、市田先生も基本的に合併に賛成である旨、しかし少数の執行部に合併に異を唱える者も居ることが説明。
高須議長は名誉ある対等合併を推進していることを説明。

ananの美容外科の広告が終に消えた!!

アンアン100901本日発売のマガジンハウス社刊行の「anan(アンアン)」の巻末の美容外科の広告が終にと言いますか、やっぱりと言いますか載っていません。相変わらず霊感占いは盛況のようで載っています。
このananは20年以上前から数年前まで美容外科の広告が巻末にひしめいていました。私は昭和63年に美容外科にバイトに行きだした頃は情報に渇望していてananのこの広告を繰り返し読んでは各クリニックの広告内容を宙で言えるほどでした。
大手美容外科勤務医時代も経営者から「ananの広告は2ページ見開きで1回220~260万円掛かるけど費用対効果が高い。」等とも聞いており、当時神奈川クリニックは6ページ広告も当たり前で出していました。

創傷に消毒液を絶対に使用しない(夏井睦先生)VS使用して構わない(中西秀樹先生)

夏井睦VS中西秀樹 向かって左のメガネをかけた人が近年、「創傷に消毒液を絶対に使用しない」ことで有名になった夏井睦先生で、それに対して「使用して構わない」と発言している向かって右が徳大形成の教授の中西秀樹先生です。
 この対立する考えでは私は夏井先生の方を支持しています。これは私が医師1年目、久留米大病院の整形外科の研修医だった頃に発しています。ある日、形成外科の回診に同行させてもらったら、回診車に生理食塩水を浸した「湿綿」が容器に入れてあり、「傷は消毒してはいけないんです。」と言われ妙に感動しました。
それ以降、傷に菌がついていても大量の水で洗浄、もしくは長時間の生理食塩水で還流で治すのを常としました。傷に付いている菌を消毒液で殺菌するのは一見良いように思えても、同時に薬品火傷として組織が死に創傷治癒が遅れるばかりか、消毒液が抜けた後、死んだ組織に細菌が繁殖し易くなり逆効果であるからです。
昨年の救急医学会の専門医更新のためのセミナーの中にもありました。米国の格言「眼に入れてはいけないものを創に使用してはならない。」

口腔外科と形成外科と…

口腔外科と形成外科 一昨日に中学の時の同窓会があり、当時親しかった友人が、大学医学部附属病院の口腔外科講座の主任教授になっていたので、祝辞を述べると伴にあれこれ話をしました。彼は唇列に関心が深く、「外鼻の形態異常も治している。耳から軟骨取ってるんだ。フラップの動かし方は慶応の教授だった中島龍夫先生のペーパー(論文)など参考にしてる。」等言われるので、『口腔外科は口の中だけに捉われないんだ。』と思いました。しかしこれは同時に『攻め込まれてるよ、形成外科!』と私に思わせました。既に口腔外科で頬骨・頬骨弓の骨切りを行う施設など在る事は聞いておりましたが、口唇・人中・外鼻 / 耳まで弄るとなると形成外科医は、うかうか出来ないと思います。手外科学会でも形成外科医の評議員はいますが、学会員の構成を見れば整形外科医のスペシャリストが圧倒している感があります。
外科系医師が形成外科的手技を色々求められるようになっているのは世の流れと思うのですが、これは逆に形成外科医の足元を脅かす訳で、高度なテクニックを持っている形成外科医しか形成再建外科では生き残れない厳しい状況になっていっている筈です。それは手術が好きで才能とセンスのあるから仕事量が多くても苦にならない人が生き残るという事と思います。

2つの美容外科学会の統一 ⑯(来年7月、十仁学会第100回の後)

十仁系:日本美容外科学会(JSAS)は来年7月23~24日に東京ホテルオークラで第100回を梅澤文彦会長のもとで行う予定としていますが、その次の第101回は未定です。
今は高須先生・市田先生のご尽力で2つの美容外科学会の統合に向けた協議が行われ、本当に合併すれば、上記100回目の学会が最期の学会になるのでしょう。
しかし、先月17日の札幌での大森系美容外科学会で私は理事の一人との会話で、2つの美容外科学会の統合について私が、6月28日の十仁系学会で聞きました「形成外科の中に美容外科を含むような狭い考えでない。という事で進めているのですか?」と尋ねれば、「そのようには、聞いてないです。」と答えられました。
ですから私は、十仁系日本美容外科学会(JSAS)の第101回はあると思っています。

2つの美容外科学会の統一 ⑮(美容外科標榜に大森系医師の6割は賛成だった)

先日の7月17日の札幌での美容外科学会の際に、懇親会で当時を知る先生から直接お話を聞けたことですが、昭和52年に十仁系学会が「美容整形科」という標榜科目の申請をした後は、大森系はこれに強く反対したそうですが、翌昭和53年に「美容外科」という名称に変えて標榜科目として認可の運びになろうとする際は、大森系医師の6割は賛成だった。と言われました。私は(大森系の整容形成外科研究会のメンバーは、形成外科の中に美容外科を含むのが前提だったはずですから)、反対が当然と思っていましたが?と尋ねましたら、「いや、美容というのを世間に啓蒙させる意味で良いんじゃないかと賛成の方が多かったんだよ。」と答えられました。

2つの美容外科学会の統一 ⑮(形成外科標榜申請時、美容を入れなかったのは認定医制度の絡み)

私は6月19日のブログに (形成外科標榜申請時、美容を入れなかった大森系の失策)と書きましたが、これは見当違いだったかも知れません。
7月17日の札幌の美容外科学会・懇親会の時、「(形成外科)標榜の際、美容を含めないという一札を入れて認可された。」と聞き、これが
美容は含まない」と武見太郎先生と一緒に大森系から一筆取った』そうか!と思ったのですが、また別の先生からお話を聞けば、「標榜科の際に美容を入れないとは、丸毛先生たちのグループがいずれ認定医制度が出来た時、形成外科が美容を含めていると自分立ちのように美容をやってないところでは症例が集められないから反対した。厚生省は美容を含めようと含めまいと関係なかった。」とのことでした。
確かに日本形成外科学会の認定医は昭和53年から認定されており、あり得る事と思いました。

美容外科学会(札幌)

美容外科学会 松本敏明会長昨日17日は札幌で大森系美容外科学会が13時~19時半(懇親会含)でありましたので日帰りで行ってきました。シンポジウム「次世代に伝えたい美容医療を求めて」の2時間余りは私にとって、このブログで綴ってきた「2つの美容外科学会の統一」に絡んだ事でもあり、この学会の理事の先生方の昔話、(開祖)大森清一先生の話など大変興味深かったです。夢中で筆記しましたから骨子は理解しましたし、懇親会の際もその件で質問したりしました。北大元教授の大浦先生は「平成の竜馬の新富先生が、『(2つの美容外科学会がイガミ合うのは)おーい、いい加減にせんかい。全美容外科が潰れるぞ。』」と言われているとパネル表示し、新富先生らの2つの学会の統一への働きかけに賛辞を述べられました。
根幹に譲れない物がある以上、私には統一は無理としか導けないのですが、臨形の会長もされた新富先生も推進役ならば、統一し得なくても政党の連立みたいなもので何かプラスになる事が出てくると期待したいです。
観光無しの北海道でしたが、美容外科の歴史を感じて何か明日に向かって元気が出てきます。温故知新と言えるでしょう。

2つの美容外科学会の統一 ⑭(良医・名医は結局、個人の資質で決まる)

私は医学部卒業前に将来、美容外科をやるにはどういう進路が良いのか聞き回って考えていた稀有な学生でした。当時年号は昭和でもあり、整形外科から入るのを大森系理事の江崎先生から薦められ、麻酔・救急も含め江崎先生の言われた通りに歩んできたのですが、美容外科の常勤になる前に週100時間勤務というかトレーニングを夜中までずっと続けられた事は大変良かったと思っています。一方、形成外科入局というもう一つの未来も又良かったのになと思っています。また、胸部外科や泌尿器科のご出身で美容外科の名医となられている先生もいますし、医師1年目から美容外科勤務で素晴らしく腕が良く患者さんの評判も良い先生も何人もいます。
今の私から言えば、良医・名医は結局、個人の資質で決まるのだと思っています。個人の資質とは持って生まれたセンス、目の前の女性を綺麗にしてあげたいという熱い気持ち、手技や麻酔の知識が足りなければ人に頭を下げてでも教えてもらう謙虚な姿勢などと思います。その上で何年何症例美容外科手術の経験を積み上げてきたか、これで決まるというところです。
そういう意味では、今回高須先生が2つの学会を統合する働きかけの際に呼びかけた「形成外科の中に美容外科を含むような狭い考えでない」で良いのですが、今まで私が色々書いてきました通り、総論賛成、各論反対で結局は2つの美容外科学会の統一は「無理」と観ています。
ただ念のため書きますが、私個人は叶う事なら統一して欲しいというのが本音です。

2つの美容外科学会の統一 ⑬(整形外科専門医が大森系美容外科専門医に)

⑪の続きですが、当時には私は整形外科の修練があれば美容外科の現場に入って美容外科手術ができるようになると考えていました。それを先に書きました荻野洋一先生に説教されつつ言いましたら、「聖隷浜松病院形成外科の中村先生に特別に頼んであげよう。」と言って下さいました。そして後日、中村先生に架電しましたが、「医局人事に逆らい無理を通しても4年で辞められては叶わない。」と断られました。大学医局の基幹病院ですから当然と思います。
この聖マリアンナ医科大学形成外科に関しては当時2代目教授の石田寛友先生は琉球大整形外科助教授から形成外科の助教授として赴任し、荻野先生退任後は繰り上がって教授をされていました。石田先生は形成外科の教授退任後は市中の病院で病院長兼、整形外科外来を担当されています。そしてJSAPS(大森系)の日本美容外科学会の専門医となっておられますが、私はこの20年あまり石田先生の美容外科学会の発表は聞いた事がないですし、日美外報等に抄録・論文は見当たりません。整形外科専門医である先生が大森系美容外科学会の専門医でもあることは興味深く思います。
(なお新潟大耳鼻科助教授だった荻野先生が東洋医大(聖マリ)教授になられ、後任の教授が整形外科なのは何故と思ったら、石田先生も新潟大でした。そういえば酒井成身先生も新潟大です。また何で聖隷浜松病院が聖マリ形成の関連病院なのかと思う時、九大整形天児教授の同門の河野左宙先生が新潟大整形の教授→聖隷浜松病院というラインがあったからと考えます。)

2つの美容外科学会の統一 ⑫(臨時美容外科学会総会 司会高須克弥先生)

昨日、JSASの日本美容外科学会があり、「JSASとJSAPSの統合」とのことで高須先生が壇上でスピーチされていましたが、「形成外科の中に美容外科を含むような狭い考えでない、向こうの執行部との話し合いでも統一した学会では、JSASの美容外科専門医はそのまま専門医として認める、その後も形成外科専門医と同等の力のあるものは美容外科専門医として認めて行く。」このように言われたように聞こえました。対等合併のようにも言われましたが、『形成外科専門医と同等の力のあるもの』このあたりが曖昧ですから後々の事が気になります。
松山先生が懸念を表明(私は到着が遅れて聞けず)、保志名先生が美容外科の標榜は梅沢文雄先生と武見太郎先生の十数年の努力と発言。それで私も挙手して、このブログで書きました「形成外科の立場で考えれば(大森系が折れて条件に形成外科専門医を外すのは)無理。」と述べました。それを受けて市田先生は「2つとも学会に入っている人が無理というのは意外。」と言われ、対等合併の立場を表明されましたが、私からすれば市田先生が対等を口にされる事こそ意外に思えました。その様な発言を個人的に過去2回聞いています。しかし月日が流れ市田先生もお考えが変わったのかと思います。それは高須先生も同じです。「稲葉先生、先生はこの(十仁系)学会の理事でおられますが、あちらの(大森系)学会にはヒラ会員として出席されています。止めて下さい!」と言われていたのを懐かしく思います。

2つの美容外科学会の統一 ⑪(形成外科学会認定施設は全て大学の支配下)

日本整形外科学会の認定施設のような立派な病院でも大学病院医局の支配下でないところは多く、整形外科医であれば、大学の医局に属さなくても認定施設の病院を自分で探して勤められ、すごく腕を磨く事は可能です。それは整形外科の四肢・脊椎疾患の患者数は莫大で、年がら年中、救急外傷の担当ともなりますから医師が足りないからです。私が平成3年に探して勤めた湘南鎌倉総合病院の整形外科はスタッフ6名のうち半分は東京医科歯科大からの出向でしたが、医師が足りず私はフリーで入職できました。症例数も莫大で週100時間労働、もちろんキチンと整形外科専門医の資格も取れました。
私はその次も考え同年平成3年当時、日本形成外科学会認定施設の資料を学会事務局からFAXで送ってもらって全て調べたことがあるのですが、ただの一施設もフリーで勤められるところはありませんでした。今も聞けばその状況は変わっていないようです。ですから形成外科専門医を取得しようとすれば、どこかの大学の医局に入局するしかないのですが、医局とは封建的で丁稚奉公と言いますか奴隷奉公しなければならず、教授を頂点とした上の立場の医師のために初めの何年かは無益な雑用を強いられ、能力はあってもチャンスすら与えられない鬱々とした日々を過ごさねばならぬ面が多々あります。有名な「白い巨塔」をイメージして下さい。
ですから再入局はかなり躊躇いました。そして私は平成元年~3年初頭まで通わせて頂いた元昭和大学形成外科助教授だった徳永先生のクリニックで、徳永先生の意思に反するでしょうが、整形外科の修練があれば美容外科手術はできるとも考えていました。

2つの美容外科学会の統一 ⑩市田正成先生のコース(整形→形成→美容)はもう無理

今度の十仁系美容外科学会では市田先生の「脂肪注入の歴史」の講演がありますが、市田正成(憲信)先生というお名前は私が医学部5年の時(昭和60年)に知りました。そして研修医2年の時、先生の名著:外来小手術アトラスに出会っては繰り返し繰り返し読んで外来処置で実行して、この市田先生のように整形→形成→美容というステップを踏みたいなと思ったものです。市田先生は整形外科医を7年やって北里大学形成外科に入局し翌年は形成外科講師となりました。当時私はこれは整形外科をやっておけば形成外科医としても通用すると思ったものです。
しかし、私が医師4年目、5年目に複数の大学の形成の医局に出向き話を聞けば、「他科からウチに入局したものは卒後7年経って他科の専門医を取っていても実力的には3年目扱い、そして入局者としは1年目扱いだから、ウチの卒後2年目で入局2年目の先輩には敬意を払うこと。例えば病棟の患者が中央手術室に搬送の際は、入局1年目は看護助手と同行すること。何?美容外科?美容は入局後10年経たないと、やらせない。」
私は市田先生に尋ねたことがあります。「市田先生が北里に昭和51年に入局した時は、北里大は一回生が卒業したばかりで形成外科の体制が整っていなかったから翌年講師になれた、つまり市田先生は途中から形成に(奴隷奉公せずに)入局できた最後の世代と考えますが、どうですか?」すると市田先生は「まあ、そうやな。」と答えられました。

2つの美容外科学会の統一 ⑨(美容整形科の標榜が叶わなかった十仁系の不運)

昭和52年、十仁系が厚生省に申請した標榜科名は「美容整形科」でした。そして歴代日本医師会々長の中でも特に絶大な権力を持っていた武見太郎先生は「美容整形は梅澤に任せる。」と言って強力に十仁系をバックアップしており、国会で「美容整形科」の標榜は承認目前となったのですが、最後の方になって東大整形外科の津山直一教授が「整形外科と混乱する。」と呼称変更を要求し、「美容外科」という名称に落ち着いたのでした。
私は梅澤文彦先生から「“整形”という言葉を入れたかったな。」と聞かされたことがありますが、もし「美容整形科」の標榜科が実現していたなら、現在とは様相が大分違っていたと思います。
私が知る限り大森系では「美容整形」という言葉をことさら嫌っている先生が多いものです。ですから下記は実現しなかった気がします。
①「日本整容形成外科研究会」の名称を十仁系が古くから使っていた「日本美容整形外科学会」にはしなかった。(標榜科に美容の文字が入っているからと、JSAPSの日本語訳の通り「日本美容形成外科学会」としたかも知れない。ただそれでは高瀬先生が聞いた通り、自分たちが主流派であると主張出来ない。)
②「美容整形科は形成外科の一分野」これも絶対言わない。口が裂けても言えない。
③病院の看板に「形成外科・美容整形科」これも有り得ない。

2つの美容外科学会の統一 ⑧(形成外科標榜申請時、美容を入れなかった大森系の失策)

昭和50年に形成外科が標榜科目として国会で承認されましたが、その定義に美容を含ませなかったのは大森系の失策です。十仁の梅澤先生も当時「美容は含まない」と武見太郎先生と一緒に大森系から一筆取った事を証言されています。ですから昭和52年に十仁系が「美容整形科」の標榜を申請した時、大森系は反対しましたが既に遅かったのです。
翌年昭和53年に「美容外科」が形成外科と横並びの独立した標榜科目となりましたが、これは後年の「美容外科は形成外科の一分野」という合言葉に反した大森系からすれば困った事態なのです。こんな言葉が通るなら標榜科目の独立性からして「形成外科は整形外科の一分野」「整形外科は一般外科の一分野」と呼んで良いか?という話になります。
美容外科が独立した標榜科目になった事は十仁系の立場を強化することに繋がりました。非形成外科医の美容外科医を増やしましたし、私にとっても形成外科に入局せずとも、卒後数年は整形外科か一般外科で苛烈な医療をガンガンやりたいという志しが遂げられるかと思わせました。少なくとも私の場合は、美容外科が標榜科目にならず、美容外科は形成外科の一分野という風潮が当時あれば、卒後に形成外科に入局したのは間違いありません。

2つの美容外科学会の統一 ⑦(形成外科全体が美容容認になったのは最近)

私が医学部の学生の頃、美容外科をやっている先生方の出身科で一番多いのはギネ(産婦人科)だと言われた事があります。
確かに当時は鴛海先生や船津先生、当院の安見先生もそうでした。
そしてあの頃、私が将来美容外科をやりたいと言ったら保健衛生大の形成外科助教授だった中島龍夫先生はみるみる顔色が変わって私を怒鳴りました。後年平成6年ですが、荻野洋一先生にも美容外科をやると言ったら、あざみ野の自宅まで呼び出されて説教を受けました。
また以前は日本形成外科学会会長になろうとしたら美容外科に距離を置く立場に見せておく方が有利だったそうです。日本医大の文入教授は形成外科学会の会長になるまでは美容外科に批判的な発言もされたそうです。しかし会長を終えた後は、日本美容外科学会(JSAPS)に入会届けを出されましたので、徳永先生はぼやいておりました。

2つの美容外科学会の統一⑥(形成外科は整形外科の一分野か)

大学の形成外科の多くは整形外科から分科した歴史があります。東大、慶応、慈恵医大の順に出来たのですが、慈恵の場合を書きます。嘗て、伝統ある慈恵の整形外科の教授選は丸毛助教授と伊丹助教授で医局がマルちゃん派とイタちゃん派に真っ二つなる状況で競ったのですが、結果は丸毛先生が敗れました。しかし丸毛先生は業績に加え、家柄も良いし人徳もあるので教授にという気運があり、形成外科の診療科を作って丸毛形成外科教授が誕生したのです。私など研修医の頃「整形外科 レントゲンの読み方 慈恵医大形成外科教授 丸毛英二」という本を見て感慨深く思っていました。 丸毛先生は教授退任後は第三北品川病院病院長をされましたが、形成外科は土田先生に任せ、ご自身は整形外科外来を担当されていました。なお慈恵形成外科2代目教授の児島先生も、丸毛先生が整形外科の教授選に勝っていたら整形外科にそのまま居て手の外科を究めた筈です。
整形外科の名著、片山整形外科を読んでも、整形外科では昔、唇列や頬骨骨折など現在、形成外科がメインで扱っている分野もカバーしていたとあり、昔は形成外科は整形外科の一分野と言えたかも知れません。この幻惑は医学部卒業前2年間、入局先筆頭1番は形成外科で考えていた私にとって都合よくあったのでした。

2つの美容外科学会の統一 ⑤(美容外科は形成外科の一分野とは)

同名の学会が2つあるなどという馬鹿げた状況を無くす意味で、2つの日本美容外科学会の統一には両学会員とも総論としては賛成の人が多いと思います。しかし各論として、大森系としては“形成外科学会専門医”という前提を外すことは出来ないと断言できます。形成外科の今後の発展の為には美容外科を取り込んでおく必要があります。もっと言えば美容外科は形成外科医がやるものなのだという流れにして行かないと形成外科の未来は行き詰まる運命にあると言えます。
他科と異なり担当臓器を持たない手技に特化した形成外科は、他科のドクターが綺麗に仕上げるレベルより明らかに高いレベルの結果を出さなければ存在意義は在りません。しかし形成外科医全員がそこまでハイレベルには達し得ないし、元々一般医療では莫大な数の形成外科医自体が不要なのです。
しかし医局員は数、数は力です。形成外科に新入医局員が入って来るのは喜びであり断るなんて在り得ません。そしていずれ彼らに仕事を与え、病院の中においては形成外科が他科に遜色ないの売上を上げる必要があります。『美容外科は形成外科の一分野』とは手技とは別に、こういう事でもあるのです。

2つの美容外科学会の統一 ④(大森系はギルド)

大森系美容外科学会に参加の際は会員でない場合は事前に学会長の許可を要します。つまり当日ふらっと立ち寄って参加費払うから入れてくれと言っても入れてくれないのです。これは他の医学会ではないことです。
また会員であっても学会参加の受付では必ず名前と勤務先を書かれた紙で参加者はチェックされます。これも他の医学会ではないことです。
さて大分以前ですが、十仁系医師が大森系学会でも勉強のために参加したいからと入会申し込みをしたのですが、推薦人2人の署名があっても所属を大手美容外科の名称で申請した為、入会を断れたと聞いた事があります。
そして何年も前ですが大森系美容外科学会の懇親会の時に、私は自分の立場(経歴)を明らかにした上で、学会の理事から「この学会では形成外科認定医を取得していない者はまともに相手にされないよ。言わば“ギルド”と思ってくれてよい。」と言われました。私はギルドとは的確な言い回しと感心しました。

2つの美容外科学会の統一 ③(大森系)

私がJSPAS(いわゆる大森系)の日本美容外科学会に入会したのは平成元年で翌年高知での学会以降ほとんど参加しています。美容外科の開業医と大学の形成外科の教授が交互に学会々長をやる感じで、演題には真面目で学究的と感じるものもあります。
この学会は1977年日本整容形成外科研究会として設立し1978年「美容外科」の標榜が国会で決まった後で改称したそうです。この学会を大森系というのは日本に形成外科を最初に導入した故大森清一先生が中心になって作ったからです。美容外科と形成外科は車の両輪みたいなもの、美容外科は形成外科の一分野という考え方が前提なので、この学会は形成外科専門医でないと正会員になれない事を唱っており、当然、専門医取得も形成外科専門医が前提です。
なお、この学会JSAPSはJapan Society of Aesthetic Plastic Surgery なので訳すと日本美容形成外科学会なのですが、敢えて日本美容外科学会と称しているのは「標榜科と同じ名称でないと力を失う。」という事らしいです。故高瀬晴夫先生がそう聞いたと言われてました。

2つの美容外科学会の統一 ②(十仁系)

私がJSAS(いわゆる十仁系)の日本美容外科学会に入会したのは昭和63年で同年5月に学会に参加しましたが、TVや雑誌の広告で有名な先生方をお見かけして不思議な気分になりましたし、高須先生が私に「僕も整形外科です。」と気さくに挨拶を返して下さった時は感激しました。
当時は新橋の航空会館で毎年学会を開いていましたが、出席するたびに実践的ですぐ役に立ちそうな話が聞けて毎年楽しみでした。
この学会のルーツは昭和23年設立の財団法人 日本美容医学研究会であり、そこから昭和41年 日本美容整形学会が設立されています。そして形成外科が一般標榜申請の際は、日本医師会々長武見太郎氏らが、形成外科医の重鎮から『形成外科は美容を含まない。』の一筆を取っており、それで昭和50年に形成外科の標榜が国会承認された2年後、日本美容整形学会が、『美容整形科』の一般標榜を厚生省に提出、昭和53年に『美容外科』として独立した標榜科で国会承認、学会も国会承認前に『日本美容外科学会』と改称しました。ですからJSASは歴史上の観点からも、当学会の方が正当と主張しているのです。

2つの美容外科学会の統一 ①

日本美容外科医師会の新聞が届いてましたが、トップに「重要 緊急告知」とあり、6月28日の日本美容外科学会(JSAS)の総会時に、同名の2つの美容外科学会の統一について賛否を問うとありました。また「もう一つの美容外科学会(JSAPS)は主要メンバーのアンケートにおいて全員が統一に賛意を表していますが、細事については色々な意見があるようです。」ともありました。
ご存知ない方の為に書きますが、日本美容外科学会はその成り立ちの違いから、同名の学会が2つ存在し過去においてはお互いに自分の方が正当だと主張し、いがみ合ってきたのです。
私は20年以上、この2つの学会両方にほとんど出席してきましたので色々と思うことはあります。

採取した軟骨は元のようには再生しない。

軟骨は耳介軟骨でも肋軟骨でも取ったところは再生すると思われている患者さんがいます。確かに軟骨膜を残しておけば治癒にプラスに働くのですが、実際に採取部をもう一度切開する機会があって見てみても、何かあるにはあっても、どうも本来のものと違います。これは本来の軟骨が硝子軟骨と呼ばれるのに対し、採取後に少し作られている軟骨は線維軟骨と言われ性状が違います。また同部位のボリューム維持として結合組織、いわゆる瘢痕が生じていますが、これは軟骨とは全く別物です。

鼻中隔延長で肋軟骨採取部の傷

rokkotsu この傷は、肋軟骨採取術後、2ヶ月半くらいの写真です。まだ赤いですが、いずれ肌色になり目立たなくはなります。しかし一般に顔の傷と体の傷では縫い方が同じであっても体の方が傷は目立つ傾向なので、この傷が消えたようになるとは、どこの美容外科医でも言わないはずです。
 患者さんのカウンセリングでお互いが悩むのはこの点です。しかしプロテーゼのような異物は絶対イヤ!という人や、鼻中隔延長でしっかり鼻先を下げて欲しいから硬い軟骨でやって下さい。という希望が強い場合は、結局肋軟骨を採取することになります。
 なお私が肋軟骨の採取のやり方を覚えたのは20年程前、久留米大学在職中です。当時形成外科の田井教授が精力的に肋軟骨採取で小耳症の再建をされていましたから、麻酔科出向で全身麻酔をかけながら、70cmくらいの至近距離で何度も見させてもらいました。その後、上白根病院に行かれた荻野洋一先生の小耳症の再建の手術の助手をやらせてもらって、ここでの事も参考にさせて頂き今に至ります。ただ小耳症の場合は耳のフレームの形を考えながら採取する難しさがありますが、鼻で使う肋軟骨の採取はただ取るだけなので腸骨片の採取より手軽で局所麻酔でも出来るものです。

鼻中隔延長で鼻が曲がることがあるのは何故か?

zusetu6板状の軟骨を置くからです。板は反ることもあります。耳介軟骨でしっかり下げようとすると耳介軟骨は柔らかいですから、鼻先の緊張に負けて曲がることがあります。ですから、かなり下げたい時は肋軟骨の方が硬いですから、そっちを使います。
なお、鼻先にチップのように乗せたものは曲がらないのは当然で、軟骨移植全てが曲がる、変形すると思われていたら、それは間違いです。

鼻中隔延長は数年前から急に流行

鼻中隔延長とは鼻先を下げる。鼻の穴を見え難くするという効用があるのですが、10年以上前は患者さんの方から、そいういう希望はそれほど聞かなかったものです。鼻先を下がって鼻の穴があまり見えない、下に矢印のような形の鼻。そうこれは浜崎あゆみの鼻! あゆの影響は大きいものがあると思っています。

鼻中隔延長は鼻先を下げる最も有効な手術

shourei_1_beforeshourei_1after 写真向かって右(術後)にあるような気品のある美しさ、ハーフ、外人っぽい鼻を目指すなら鼻中隔延長でしょう。
写真向かって左(術前)は元々の鼻の長さに比べれば短めのL字型プロテーゼを入れられ、お世辞にも美しいとは言えませんでした。この時受けた美容外科では決まって、やや短めのL字型プロテーゼを角の部分が鼻先のやや上に来るように入れるようです。そのやり方は大半の日本女性にまあまあ似合います。しかし医療としては割り切って流れ作業的に行っているように思えます。
 ただこのモニターになって頂いた女性は長身で顔立ちも美人顔でしたから、上述のプロテーゼでは似合わず、私と相談の上、顔・体にのイメージにあった高さ・長さのある鼻に再手術となりました。それで鼻中隔壁延長+I型プロテーゼ(鼻根~鼻背まで)となったのです。

鼻先の耳介軟骨移植には軟部組織も付けるべき

hybrid_prothese 耳介軟骨移植で移植軟骨が重ねられて厚いもの、プロテーゼの先に固定されてハイブリッド・プロテーゼになっているものに関しては、私は通常は移植軟骨と皮膚の間に軟部組織も移植するようにしています。軟骨側に透明の極細の糸で縫合固定します。
 それは軟骨と言えども鼻先の皮膚を押し下げれば、長い期間を経て皮膚が薄くなり、皮下に軟骨が透けて見えそうな感じを呈して行くからです。
ですから写真のように軟骨をプロテーゼ先端に固定した上で、更に軟骨の上に軟部組織を固定して挿入します。

プロテ以外の隆鼻への自家組織材料は肋軟骨のみ

lib_cartilage隆鼻材料に自家組織を用いる場合は以前から、①耳介軟骨、②肋軟骨、③側頭筋膜が使われてきましたが、ドナー(採取部位)に傷が着くというデメリットは別として、鼻の形状が狙った通りに美しく仕上がるのは、肋軟骨だけです。耳介軟骨は曲面の小さな切片を糸で重ね合わせて作るので滑らかな形状が出来ません。側頭筋膜は後々凄く薄っぺらくなって高さが出せません。プロテーゼ並みの完璧な形状が作れるのは肋軟骨だけです。写真は鼻背は肋軟骨隆鼻材料を使って鼻筋を作っています(鼻先は肋軟骨を使った鼻柱隔延長)。

鼻のシリコンの耐久性

この十数年を振り返っても、術後10年位前に入れたシリコンを抜いたことは結構ありますが、割と綺麗な新品に近いものが取り出せています。しかし30年位前の物を抜いた場合、かなり劣化して抜く時にちぎれた事も多いです。私の経験上の見解ですが、30年も経てばどんなシリコンも劣化するということではなく、30年以上前のシリコンプロテーゼは材料自体が粗悪な場合が多かったが、少なくとも20年位前からのシリコンは材料の質が良くなり耐久性も高まった~ということなのではと思っています。