東京警察病院・クリニカ市ヶ谷に勤められるか?

東京警察病院形成外科部長 大森喜太郎先生150 平成6年頃は、形成外科の医療機関で、たとえ標榜はしていても美容外科の手術をどんどんやるところなんてありませんでした(その事情は今でも大きくは変わらないはずです)。それであの当時は、自分の状況からすれば今さら大学の形成外科の再入局は賢明でないと判断していましたが、ある日、日本の形成外科のメッカである東京警察病院は、クリニカ市ヶ谷という美容外科クリニックと提携していて警病の形成外科医はクリニカに行って美容外科手術を行っているという事を聞き、その上、東京警察病院が医師は公募しているとも知り、「まさに台風の目、もしくは灯台下暗しで気が付かなかった。入職2年くらい冷や飯を食らっても勤務に継続性があるから最短でも7,8年居るとしても初期の奴隷奉公も無駄にならないか?」と思ました。師匠にお尋ねしても「警病を忘れてた!ああ良いかも!」と言って下さいました。しかし何せ本当の事情はよく分かりませんから東京警察病院の大森喜太郎部長と入職前提で謁見出来ないものか考えましたが、変なアプローチでは一蹴されると思い、元聖マリの荻野先生と、虎ノ門の南條先生と杏林の尾郷先生にお願いして、大森先生に謁見の機会を与えて下さるよう根回して頂きました。私からお手紙を書いた際も、切手を貼って投函するより貼らずに警病まで直接持参し、守衛さんか受付に「大森先生にお渡し下さい。」という方が切手がない分、直接来院した熱意が分かって良いか。と思い、茅ヶ崎から千代田区富士見まで出向きました。しかし結局は画像のようなお返事が届きました。
「茅ヶ崎徳洲会総合病院 整形外科
木 村 知 史 先生
御机下
~~先生に関しましては南條先生ならびに尾郷先生などより御推挙賜りまして~~~。」と大変丁寧な書き方で始まるお手紙でしたが、結局入職に関して、
「~~なかなか思うにまかせません。」という表現で断られました。
突然の申し出ですから成功率は低いか?とも思っていましたが、やはりショックでした。しかし断れらたとは言え、『まあ、仕方ないや。昭和40年代に外科系で形成外科を勉強したくなった先生方が警病の門を叩いた頃とは全然状況が違うんだ。形成外科のメッカから断られた分、踏ん切りも付くか。」と、気を取り直して、ここで最終的に形成外科の経歴を経ずに整形外科出身の美容外科医師として頑張る決意を固めました。