年賀状 

新年おめでとうございます。
ヤスミクリニック 木村知史
私がヤスミクリニックを真に後継開業したのは平成14年1月1日なので24年経ったことになります。
実はリッツ美容外科の副院長で勤務していた時に、高給だったし、廣比院長は私には鷹揚に接してくれ、手術時間もキッチリ確保してくれていたので辞める理由はなかったです。

でもリッツが開院しての初の忘年会の時に、廣比院長が「皆様のおかけでリッツも開院当初から順調に稼働し、現在全国から多くの患者さんが来院されるようになりました。それは一番良いレベルの医療を提供すること、その発信をしてきたことです。この当たり前のことを実行しただけです。」こんな感じのことを言われました。また廣比院長は私に個人的に「患者さんは最高水準の手術を受けられると分ったら全国各地からでも来ます。自分の顔や体の一生のことですから。これをオータムキャンペーンとか言って安値で集客みたいなのはカボチャやニンジンをスーパーで買うのとは違うのだから、間違っています。料金は提供する医療レベルに合わせるから高くても良いのです。」この様なことも言われました。

私はリッツ開院前は美容外科の開業の難しさを目の当たりしていました。それは、紙媒体での広告費の高さです。また「旬なものに手を出して当初は高収益を上げても皆がマネすると一気に値崩れして閉院に追い込まれる。」というのもあり、包茎専門チェーンクリニックがそれに該当します。脱毛レーザーも平成9年に日本で始まった時は「もう針脱毛は要らない、レーザーを当てるだけ。両脇38万円!」と広告を打っていましたが、これが大盛況で凄く儲かっていましたが、数年でレーザー脱毛の価格が急落し、クリニック売却や何か付加価値と合わせて、やっと生きながらえている感じになりました。

でも手術に関しては廣比院長が言われる「一番良いレベルの医療を提供すること、その発信をする。」これで開業が続けられるなら、私の師匠である安見正志先生は「自分が死んだ後も巣鴨にヤスミクリニックが残ってくれると嬉しい。」と言われたので、周りの援助もあり人生を賭けて開業したのですが、上手く行ったのです。これはインターネットの到来時代に私が上手く乗れたというのもあります。

なお美容の仕事を続けたいから、若さと美しさを保つように努力し、目も米粒に書かれた極小文字も裸眼で読めます。