聖闘士星矢の車田正美⑩

車田正美2枚写真車田さんの今回の自伝的漫画の最終回は、連載作品が読者投票で下位を一進一退で、先輩からもっと「荒唐無稽」に描くことを助言されます。そして必殺技を描く事を思いつき描き始めますが、それまでの投票結果で編集長から“連載打ち切り”を告げられます。それで車田さんは「漫画は きっぱりと辞めます。」と言って出版社を後にし、描いた原稿を道端のゴミ箱に捨てたのでした。

・・・この面白くないラストも、私には大きな示唆を受けることが2つありました。
①「リンかけ」は、やはり下積みから少しづつ登って行く地味な苦労話では打ち切りの危機に瀕していた。それで追い込まれて化けた、化けざるを得なかったので、荒唐無稽なSFボクシング漫画が開花した。
②本来は、車田さんも早々に漫画家を辞めて別の未来を歩む人生があった(そちらの方が可能性大だった)。

・・・35年前の9月。20歳だった私、木村は、創刊2年目のヤングジャンプを念頭に置いて再び漫画の投稿作品を描いていました。『ヤンジャンの月例新人賞は敷居が高くない。ここなら入賞出来そうだし、出来なきゃ才能がないとして漫画家を諦めるべきだ。』と意を決していました。しかし11月の新人賞の発表で最終候補作までは行き、名前と批評が紙面に載ったのですが入賞は出来ませんでした。 同じ時期、少年ジャンプでは「キャプテン翼」の題名で月例新人賞で入賞した同じ20歳の人の作品が載っていました。4頭身くらいの幼児のサッカー漫画でしたが、絵もヘタで早晩消える人と当時は思いました。後年、世界中で読まれる漫画家になるとは予想も出来ない事でした。

・・・落選した私は、『予備校の寮で1人漫画を描くのでなく、上京して漫画家のアシスタントをやりながら投稿を繰り返していたら、月例新人賞くらい入賞していただろう。しかし、才能のある人はアシの経験無くとも入賞しているし、大漫画家になっている。自分はたぶんデビューしても数年以内に漫画家を辞める大勢のうちの1人になる可能性大だ。』との判断に傾いて行きました。 19歳の秋頃に車田さんたちの漫画に魅せられて熱病のように漫画に傾倒して行き、20歳の11月まで漫画家を夢見た私ですが、落選で踏ん切りを付けざるを得ませんでした。丁度その頃、親父が、予備校の寮を訪れ「もう良いんじゃないか。医学部を受けろよ。」と諭すので、11月下旬から受験に本格的に取り組みました。幸い漫画描きで1日16時間机にへばり付く苦行に耐えて来ましたから、それを受験勉強に置き換える事で翌年の合格を果たしました。