2つの美容外科学会の統一 ⑨(美容整形科の標榜が叶わなかった十仁系の不運)

昭和52年、十仁系が厚生省に申請した標榜科名は「美容整形科」でした。そして歴代日本医師会々長の中でも特に絶大な権力を持っていた武見太郎先生は「美容整形は梅澤に任せる。」と言って強力に十仁系をバックアップしており、国会で「美容整形科」の標榜は承認目前となったのですが、最後の方になって東大整形外科の津山直一教授が「整形外科と混乱する。」と呼称変更を要求し、「美容外科」という名称に落ち着いたのでした。
私は梅澤文彦先生から「“整形”という言葉を入れたかったな。」と聞かされたことがありますが、もし「美容整形科」の標榜科が実現していたなら、現在とは様相が大分違っていたと思います。
私が知る限り大森系では「美容整形」という言葉をことさら嫌っている先生が多いものです。ですから下記は実現しなかった気がします。
①「日本整容形成外科研究会」の名称を十仁系が古くから使っていた「日本美容整形学会」あるいは「日本美容整形科学会」にはしなかった。(標榜科に美容の文字が入っているからと、JSAPSの日本語訳の通り「日本美容形成外科学会」としたかも知れない。ただそれでは高瀬先生が聞いた通り、標榜科と異なるから自分たちが主流派であると主張出来ない。力を持てない。)
②「美容整形科は形成外科の一分野」これも絶対言わない。口が裂けても言えない。
③病院の看板に「形成外科・美容整形科」これも有り得ない。