研修医が初期研修後に直ぐ美容外科に行く「直美」
今年の春頃から「直美(ちょくび)」の言葉が流布しています。美容外科をやりたいというより、一般医療が労多くして給与が少ないから嫌で美容外科に研修医2年間が終ったら直ぐ美容外科に就職ということを指しています。
私は医師に成りたての頃、パートでは直美と言えるような生き方をしました。医師1年目の初めから美容クリニックに勉強で度々出入りしていたのです。
1年目の途中で行くクリニックを変えましたが、2軒目の院長に私は「非常勤の立場ですが、いつかは二重埋没法を担当させて下さい。給料は要りません、タダで働きます。」と言っていました。院長は「埋没法を担当させるかは、木村先生の勤務態度次第ですよ。」と言われました。そして私は医師2年目の6月までに1軒目から数えて50回くらい美容外科通いをしました。翌7月に院長がチャンスをくれました。「埋没法を3人行って下さい。木村先生の後ろで私が最初から最後までチェックします。」と言って下さいました。私は院長の埋没法を何度も見ては脳裏に焼き付けていましたので、その3人の患者さんを院長と同等のレベルで施術することが出来案した。院長は「嗚呼、先生は任せて安心だね。」と言われて、それ以降は私が非常勤で行く日に埋没法の患者さんを集めてくれて、私の手術後に院長が毎回チェックする形で診療が行われました。
これは昭和63年で私が27歳になったばかりの頃でした。今と違って美容外科に偏見が強く、私自身は美容や工芸的な仕事に絶対に才能があると確信していましたが、自分自身の倫理観が付いて行かず、ライフワークとして美容外科を一生やって行けるかどうか悩み苦しんでいましたので、現場に飛び込んで、この回答を得たいというのがありました。その回答とは私が本格開業をして間もない頃に表した著作の後書きにあります。「~美容外科に磁力のように引かれてこの道に入ってしまったというのが実情です。この分野に対する業(カルマ)が自分にはあるのだと思っています。 自分の倫理観と美容整形の仕事の間に僅かな精神的矛盾を抱えながらも、ひとたび診療が始まるとその矛盾が消退してゆき、手術中は芸術に魅了されるように憑かれてしまう感じです。」
そこから2年以上経って29~30歳の頃に美容外科を本当に一生やって行く決心がつきました。ただ常勤の整形外科は後期研修中で、これは控えめに考えても整形外科専門医を認定されるところまでは続ける必要を感じていましたので、結局は専門医取得し総合病院整形外科医長を経てから美容外科の常勤となりました。整形外科では勤務先の基幹病院に1年中四肢外傷の患者さんが押し寄せて、私は医師の責務として病院泊まり込み・救急深夜手術などで、ずっと週90~100時間労働をしていました。
私の美容外科手術にとって整形外科医時代に得た知識と経験が活きています。だから今、楽して金儲けでなく、美容外科をやりたい衝動が抑えきれず、直ぐ美容外科の世界に入りたいと言う医師がいたら、そこは共感できますが、美容を極めたい気持ちがあるなら尚の事、外科系トレーニングは必須なのは分かると思います。そうでないと何かイレギュラーなことがあった場合は対応が出来ないからです。それでもし将来自分で美容外科を開業しようと思う医師がいたら直美はやめた方が良いと言いたいですし、患者さんもそのクリニックは避けた方が無難と考えます。