2つの美容外科学会の統一 ⑬(整形外科専門医が大森系美容外科専門医に)

⑪の続きですが、当時には私は整形外科の修練があれば美容外科の現場に入って美容外科手術ができるようになると考えていました。それを先に書きました荻野洋一先生に説教されつつ言いましたら、「聖隷浜松病院形成外科の中村先生に特別に頼んであげよう。」と言って下さいました。そして後日、中村先生に架電しましたが、「医局人事に逆らい無理を通しても4年で辞められては叶わない。」と断られました。大学医局の基幹病院ですから当然と思います。
この聖マリアンナ医科大学形成外科に関しては当時2代目教授の石田寛友先生は琉球大整形外科助教授から形成外科の助教授として赴任し、荻野先生退任後は繰り上がって教授をされていました。石田先生は形成外科の教授退任後は市中の病院で病院長兼、整形外科外来を担当されています。そしてJSAPS(大森系)の日本美容外科学会の専門医となっておられますが、私はこの20年あまり石田先生の美容外科学会の発表は聞いた事がないですし、日美外報等に抄録・論文は見当たりません。整形外科専門医である先生が大森系美容外科学会の専門医でもあることは興味深く思います。
(なお新潟大耳鼻科助教授だった荻野先生が東洋医大(聖マリ)教授になられ、後任の教授が整形外科なのは何故と思ったら、石田先生も新潟大でした。そういえば酒井成身先生も新潟大です。また何で聖隷浜松病院が聖マリ形成の関連病院なのかと思う時、九大整形天児教授の同門の河野左宙先生が新潟大整形の教授→聖隷浜松病院というラインがあったからと考えます。)