なぜ「偏差値50未満」でも一流の外科医になれるのか(続き)
天野先生の日大でも同じですが、当時の藤田の医学部の偏差値が今から比べたら随分低かったのは事実です。しかし偏差値とは最後に補欠が回って来ての最終合格者の偏差値であって、藤田の私の同級生の3分の1位はなかなか優秀だったと思います。
それは東海地方は私立の医学部が藤田と愛知医大の2つしかなく、前年度に愛知医大が新聞沙汰になる醜聞を賑わせたのと、当時は国公立の受験は年1度しか出来なかった関係で、愛知・岐阜・三重・静岡西部の国立医学部受験生の滑り止めに藤田がなっていたからです。
なお、『こんな人が医師になって大丈夫??』と思える人も少なからずいましたが、後に留年の上で退学となっています。
入学後の私はアニメ部とテニス部に入り色々励みましたし、遊び上手な級友に同行して、遊びとはこういうものか?と体験も積ませて貰いました。
一昨年、藤田学園から新しい大学病院を建てるので寄付のお願いの郵便が届きました。私は医学部卒業後は藤田とは完全に縁が切れていますが、『今の私が在るのは藤田時代があってからこそ!』との思いは相当強いので、100万円の寄付をしました。