美容外科は個人的自由と経済的自由のリバタリアニズム

リバタリアニズム  美容外科手術を受けるにあたり、親から貰った顔・体にメスを入れられるのですから旧弊な考えに捉われず自由な精神を持たないと受ける気にならないと思います。また経済的に余裕がないと受けられないものです。
図のノーランチャートで個人的自由も経済的自由も小さいのはポピュリズム(全体主義)とあるのは理解出来ますが、個人的自由と経済的自由が高いのがリバタリアニズム(自由至上主義)とあり、美容外科はリバタリアニズムの権化か?と思いましたが、私の場合は感覚的にピンと来るというより、考えれば「そうか。」と思うものでした。
全体主義の克服に美容外科は一役買うとは私は学生の頃から思っていましたが、全体主義の対極にリバタリアニズムがあるとは考えてなかったものです。
プロイセン的美徳には「潔癖、勤勉、服従、そして祖国への愛」というものがあります。服従という言葉の日本語訳のニュアンスは若干違うようですが、東西に天然の要害を持たなかったプロイセンは強国になるか破滅するかの立ち位置に在る中で、危機に対しては迅速に対応しなくてはならず、上官の命令に服従は仕方なかったというか美徳になっていたというのは理解出来ることです。
全体主義は遅れてきた国が先進国に急速に追い付く時に取りがちな一つの社会思想であり、追い付いて先進国になり成熟した国になる際、全体主義が克服されて行くべきと思いますが、その時、美容外科手術というものは服従とは相容れないものであり、美容外科手術も良しとする土壌を作ることは成熟した国になるための実践哲学だと思っています。