終戦の日は敗戦の分析をすべき

75年前の敗戦で、日本は明治維新後に築き上げて来た多くのものを失いました。
報道では毎年、「不戦」「平和」「非核」「継承」など聞かれますが、「敗戦の分析」などの表現は表立って聞かれません。

米国ではベトナム戦争での敗戦の分析は十分されており、それは若い米兵が多く死傷し国内の反戦世論が盛り上がった事が最大の敗因と分かっています。そのために死傷者削減目的でAIを進化させ遠隔操作のスマート兵器を駆使することが進み、その成果は湾岸戦争で証明されました。

日本の場合は、無条件降伏・占領統治後に米国に逆らえない国にされてしまい、「敗戦の分析」とは大っぴらには、やり難かったと思いますが、思考停止して、「不戦」「平和」ばかり唱え、『戦争とは他の手段をもってする政治の継続』という世界の常識さえ理解出来なくなってしまえば、北方四島、竹島奪還の可能性は限りなくゼロで、尖閣諸島も近々奪われるかもと心配します。

さて、真珠湾攻撃は、米国の反戦世論を1日で真逆に動かし戦争で日本を完膚なきまでに叩く世論に変えました。つまり戦術的には大成功でも戦略的には大失敗で、開戦した日が破滅の始まりとなったのです。
東條首相が開戦前に考えていた国力で叶わなくても緒戦の勝利を積み重ねることで日本有利の講和を結ぶとは夢想に過ぎなかった訳です。
日露戦争での勝利の再現を考えていたのではないかと私は思いますが、国情が全然違いますから当て嵌められない思考です。

今から考えれば日本は米国世論を敵に回さないため、英・蘭にだけ宣戦する方がマシだったと思います。
史実のようにマレー沖海戦で英戦艦2隻を撃沈しショックを受けたチャーチルに、米軍の加勢が来る前に、即座に休戦協定を打診すれば、まだ可能性はあった気がします。


また開戦前後の東條首相は、独ソ戦はドイツが勝利すると確信していましたから、それで独英休戦協定が結ばれれば、ドイツと同盟を結んでいる日本も英米と休戦に至るに賭けていたと読んだことがあります。たぶんそうでしょう。日本陸軍のドイツ熱は信仰のようなものでしたから。
だから独ソ戦の動向は小野寺駐在武官(瑞)から正確な電報が来ていたにも関わらず駐独大島大使の誤った情報を主に信じ国策を誤りました。

画像は私が医学部3年生の頃に読みました著書ですが、内容は権謀術数とかでなく『できるだけ多くの情報を集め、冷静に判断すること。』という至極当たり前のことがエッセンスだったと思います。
先の大戦では、これが欠けていた訳です。